社会は暗記科目にも理論科目にもなる
社会は丸暗記の科目というのは間違いありません。
しかしそれは用語の話であって,歴史の流れなど,暗記しようと思わなくても覚えられてしまう事は多々あります。
ちょっとそれを試してみましょう。
みなさんトルコという国はご存知ですか?
ほとんどの方はそれほど知らないのではないでしょうか。
トルコアイスとか,世界三大料理のひとつだとか,トルコ行進曲だとか,そんなところでしょうか。
子どもに聞いてもその程度です。
トルコに対する日本人の知識はその程度なんです。
しかし日本に対するトルコ人の知識は全然違います。
世論調査では毎年日本が好きな国1位に選ばれる程の親日ぶりです。
それはなぜでしょう?
トルコと仲が良くなったのは100年以上前のこと
話は1890年,今から約130年前にさかのぼります。
トルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県沖で座礁・沈没。
乗組員650名のうち587名の犠牲者を出す大惨事がありました。
その時,69名の命は村人が自分たちの食糧を分け与え,懸命に介護し、助けることができました。
そしてその話を聞いた明治天皇もすぐさま医者や看護婦を派遣。
さらに礼を尽くしてトルコまで送り届けたそうです。
ちょうどその頃,日本もトルコもロシアの南下政策に悩まされていて,共通の敵として一致団結。
しかし国が離れているのでそれほど強固な同盟などを結ぶには至りませんでしたが,それでも第二次世界対戦において,お互いにロシアの邪魔をして陰ながら助け合っていました。
トルコの大統領が日本の明治天皇を崇拝していたこともあり,この頃からニュースの話題に日本は結構上がっていたそうです。
特にロシアの無敵艦隊と言われたバルチック艦隊に圧勝した時には,トルコも大喜びしたそうです。
そんな時代は過ぎ去り,第二次世界対戦も終わりを迎え,日本は平和を迎えたものの,1985年にイラクのサダム・フセィンが「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」と宣言。
世界各国が自国民を救出するために救援機を出している中,日本政府の対応は遅れ,現地にいる日本人を日本に戻すことができなくなっていました。
そこで助け船ならぬ助け飛行機を出してくれたのがトルコ。
なんと危険を冒してまで急遽日本人脱出の手助けのために2機の飛行機を送り,すぐさま日本まで送り届けてくれました。
タイムリミットの1時間15分前だったそうです。
その時,日本人の感謝の意に対してトルコは「エルトゥールル号の借りを返しただけです。」と言いました。
実はトルコの教科書にはこの出来事が載っており,今でも授業で教えられているのです。
親日国の親日理由は奥が深い
さていかがでしたか?
ちょっとトルコを好きになりました?(笑)
それが大切なのです。
歴史はただ単に出来事の暗記ではありません。
そこに必ず人の感情や考えが入ってきます。
トルコは時代が変わってもその感謝を忘れないように教育してるんですね。
日本は知識を中立的な立場で入れていくだけ。
そこに感情やストーリーがない。
だから覚えられないし,記憶も定着しない。
感情が記憶を左右する。
このあたりが日本の社会科教育に足りていないところなのではないかと思います。
こういう話が出来れば楽しいのでしょうが,さすがに歴女でないと難しいですかね(笑)
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