「静かにしなさい!」
公共の場で子供に「静かにしなさい!」と怒鳴りつけて手をあげる光景をよく見かけます。
子どもですから騒いでしまうのも仕方ないと思いますが、未就学児が騒ぐのと、小学校高学年から中学生が騒ぐのとでは訳が違います。
未就学児の場合は、まだ周りの空気を読んでどうこうという判断ができませんからね。
その時は分かったように見えても、すぐにまた騒ぎ始めます。
自分の見ている世界が全てであり、その世界には自分とその場に関わっている人物しか存在しません。
バスでも電車でも、自分と家族、自分と友達しか世界に存在しないのです。
だから騒ぐことが迷惑だとは思っていないのです。
ところがこれが小学生に上がり、高学年ぐらいになって来ると、次第に周りが見えるようになってきます。
中学生頃には、ほとんどの子が自分たち以外の人たちが見え、周りを気にするようになります。
だから「公共の場では静かに」という理由も理解できるのです。
自然に学んでいるわけではない
さて、この成長。
成長と共に自然と理解していくものと思われていますが、実はこれ、自然に学んでいくものではないのです。
あくまで空気を読んで静かにすることができる、という土壌が出来ているというだけの話であって、やはり教えるきっかけや考えるきっかけがないと学ばないのです。
そのため、周りの迷惑も考えず公共の場で騒ぐ大人がいるのです。
では単純に注意すればいいかというとそうでもありません。
子どもは理由がわからなければ気付けません。
その場で「静かにしなさい!」と注意したところで、なぜかわかっていないので、何度でも同じことを繰り返す。
習い事や勉強も同様で、例えば習い事のサッカーや野球では、「もっと下がれ!」という監督の怒鳴り声をよく聞きます。
しかし監督が見ている世界を子どもは見えていないため、なぜ下がるのかを理解できません。
その場はとりあえず言われた通り下がったとしても、なぜ下がればいいのかを理解していない子は、同じことを繰り返すか、機転の利かないプレーヤーになってしまうのです。
理解か命令かの差は大きい
家での生活も同様、怒られて命令されるがままにやってきたことは、基本的に身に付きません。
例えば食事の後の皿洗い、弁当箱洗い、歯磨きなど。
「やりなさい!」と命令されればとりあえずやりますが、なぜやらなければならないのかを理解できないため、習慣化には至りません。
急を要する場合もありますし、命令が絶対いけないわけではありませんが、『理由を考える時間』も取ってあげる必要があるということです。
「なんで騒いじゃいけないの?」
「どうしてもっと下がった方がよかったの?」
「お弁当箱、どうして洗わなきゃいけないの?」
歯磨きを面倒くさがる子どもに、虫歯菌がのた打ち回っている映像を見せてみて下さい。
「うぎゃ~!」ってなって歯磨きをし出す子は沢山います。
「虫歯になるよ!」って言われてもピンときませんが、「あなたの口の中、今こんな感じだよ。」って見せられれば「ぎゃ~!」ってなるのです。
しつけは不要?諭すのと理解も違う
一番大切なのは、結論を絶対に出さないこと。
大人が
「だからこうしなければいけないんだよ」
と言ってしまったら、
「へーわかった。」
で終わりなのです。
子どもは「解決した」と思い、その先を考えようとはしません。
問題提起だけして、
「あとはどうするのか自分で考えなさい。」
と放り出されることで、
「さてどうしよう。」
と自分で考え、意識し、改善されていくのです。
これをオープンエンドクエスチョンと言います。
怒りに任せて叱りつけてしまった後でも使える方法なので、心を落ち着かせた後にぜひ実践して見て下さい。
ファイではこのような接し方のアドバイスも実施しています。
これも実際に保護者の方へアドバイスした手法の一つ。
子供との上手い接し方でお悩みならご連絡下さい(^^)/
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