わからないことに気付く力
元々中学受験には興味がなかった小4の塾生が、中学受験の問題をやりたいと言い出し、良い感じで進んできました。
学校でも算数と国語のテストで、1~2問ミス。
最初の頃は割と適当な勉強をしていたので大して点も取れていませんでしたが、このところ中身が伴った勉強が出来るようになってきたようです。
さて、この子が「人間万事塞翁が馬」ということわざを見かけて興味を持ったようです。
ことわざとして入試でも出てきますし、補足も加えて説明しておきましょう。
人間万事塞翁が馬
まず読み方。
辞典では「にんげんばんじさいおうがうま」となっています。
しかしこの言葉の出典となっている「淮南子」(えなんじ)の巻十八の「人間訓」は「じんかんくん」と読みます。
よって本来は「にんげん」ではなく、「じんかん」と読みます。
そして意味は「人のこと」ではなく、「世間・人生」という意味。
入試やテストで「じんかん」と書いて評価してくれるかどうかはわかりませんが、この小学生は本来の意味でちゃんと読めていたようですね。
さて、万事(ばんじ)はそのまま「全てのこと」という意味。
塞翁が馬(さいおうがうま)は「おじいさんの馬」という意味です。
つまり、
「人生で起きる全てのことは、おじいさんの馬と同じですよ。」
という意味で、おじいさんの馬とは一体何かといいますと、これは淮南子に書かれた御伽草子のようなショートストーリーが基になっています。
入試でもよく出てくるのでちょっと紹介しましょう。
人間万事塞翁が馬のエピソード
昔おじいさんが飼っていた馬が逃げてしまいました。
みんな「残念ね」と言って慰めましたが、おじいさんは「残念だとは思わないよ。」と言いました。
しばらくすると、逃げた馬は良い馬を沢山連れて帰ってきました。
みんな「良かったね」と言っていましたが、おじいさんは「良いとも限らないよ。」と言いました。
しばらくすると、息子が馬から落馬して脚を骨折してしまいました。
みんな「残念ね」と言って慰めましたが、おじいさんは「良いことにつながるかも知れないよ。」と言いました。
すると今度はこの村が戦争に巻き込まれ、若者は兵隊として連れていかれました。
しかし息子は骨折していたので戦争へ行かずに済みました。
淮南子(えなんじ)
というお話。
要するにその一時は不幸のように思っても、結果的にそれが幸運をもたらすこともあるし、その一時は幸運だと感じても、後にそれが災いになることもあるということ。
受験の合否も同じ。
合格したからと言って、必ずしもいいとは限りません。
進学後について行けなくなる子なんて割とざらにいます。
中学受験、高校受験で成功しても、大学受験、社会人になってうまくいくとは限りません。
受験を通じて学んだことが「知識」だけの子は、いずれボロボロと転落していくのです。
受験直前のこの時期、親として考えるべきは合格か、その先か。
今までの勉強結果に満足が行っていないのであれば、今考えるべきは受験後のことです。
進学先で同じことを繰り返しますか?
改善を試みるなら、入学してからでは間に合いません。
すぐにファイへご連絡下さい。
目の前の合格不合格に一喜一憂せず、長い目で見てその子の人生において成功するように考えていきたいところですね(^^)/
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