受験にどう役立つ?
首都高は1964年の東京オリンピックとも関連して出てくるキーワードの1つです。
最もこれがメインとして出てくることは稀ですが,首都高の構造は江戸時代に遡ります。
そして関東大震災,東京大空襲と,度々東京は被害を受けましたが,そのたびに改良されて復活してきました。
その歴史の名残を見ることができる1つが首都高なのです。
知っておくと東京を歩くのが楽しくなりますよ(^O^)
首都高はどうして作られた?
首都高速と言えば東京をぐにゃぐにゃと走る高速道路。
あまりに渋滞が多い事から低速道路とも揶揄される道路ですが,もともとは1964年の東京オリンピック開催に際して,羽田空港から都心までスムーズにアクセスできるように建設されたものです。
そのため,オリンピック開催が決まってから大急ぎで着工,完成させなければなりませんでした。
なんと完成は開催の9日前というギリギリ。
しかもその構想は当時推定500年はかかるとされるもので,それをわずか5年で完成させたとあって,世界中を驚かせました。
この500年はかかると言われていたものを,5年で完成させられた秘密は,徳川家康にあります。
さて何でしょうか?
ヒントは,大規模工事をすると,その分土地買収に時間とお金がかかるという事です。
江戸時代を知っている程度の知識があれば子どもでも考えられますから,ぜひ考えさせて見ましょう。
土地買収費用がほとんどかかっていない
さて,短期間で完成させられた秘密は土地買収にお金も時間もかからなかったからです。
なぜ土地買収にお金も時間もかからなかったのでしょうか?
それは江戸城のお堀を使ったからです。
徳川家康は関東にやってきてお城を立てた時,一気に江戸城周辺(現在の都心)を整備して,お堀を築きました。
このお堀は東京オリンピック開催の時代になっても残っており,そこには人が住んでいません。
川ですから。
そこでお堀の上や,お堀の水を抜いた部分を地下道としたことで,土地買収を最小限にとどめられたため,わずか5年という超短期間で完成させることができたのです。
そのため、今も首都高の下には,川が流れている部分が見られますし,なんとその川の岸壁には今も江戸城時代のお堀がそのまま残っている場所もあるのです。
さらにそのお堀の石をよくみると,各国の大名が「ここは俺が作ったお堀!」ってアピールするために,石に家紋を刻んだものも見つけることができます。
世界が熱狂する首都高の構造
ちなみに東京の首都高速。
日本人には当たり前の光景となっているこの首都高速も,世界の人から見ると,
「ドラえもんの世界だ!」
「未来の都市だ!」
と感じるそうです。
なぜなら世界中の大都市を見ても,都心にこんなに空中道路が張り巡らされている所は他に例がないからです。
海外は土地が広いですからね(^^;
日本は土地が狭い上,首都に集中しすぎてしまったから上に積み上げるしかなかったのです。
ビルの間を縫うように走るあの光景は,確かにワクワクしましよね。
渋滞さえなければ(^^;
「徳川家康の時代なんて昔過ぎてわからない!」っていう子どもにも,こういう話を聞かせると「へー!」と興味を持つものです。
首都高を通ったとき,首都高が見られる場所に行ったときには話して見て下さいね(^^)/
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