「切替」の苗字の由来
先生の名前は本名ですか?
私の名前は切替一薫(きりかえかずまさ)と言います。
歴とした本名です。
数年前からオンライン授業をやっていることもあり、直接会わなくてもできてしまうため、「切替」という苗字を偽名だと思っている方も少なくないようです。
しばらくして、慣れてきた頃に、
と聞かれることも(笑)
初めてお会いした方には大抵、「え?本名なの?」と聞かれます。
で、次に聞かれるのはいつも、
「えーっと、何を切り替えるの?(笑)」
妻も苗字が変わってから、「担当が切り替わったのかと思った」と、よく突っ込まれるようになったそうです(笑)
今回、NHKのネーミングバラエティー「日本人のおなまえっ!」という番組で「切替」の由来が取り上げられたようで、
「切替の苗字の由来をやっていたよ!」
というメッセージを生徒や友人から多数頂いたので、受験の知識も交えながらちょっと紹介してみようかと思います。
実はファイの塾生が鎌倉時代に強いのは、私が苗字の由来をネタにするからなので、受験にも役立ちますよ!(笑)
切り替えたのは気持ち!
切替家の苗字の由来は、その言葉通り、「切り替えた」ことに由来します。
そして、
「何を切り替えるの?」
に対する答えは、ズバリ「気持ち」です。
この苗字を授けたのは、鎌倉幕府を開いた源頼朝。
以前私が調べたものとは若干違ったので、諸説があるとは思いますが、今回は番組で使われていたものを紹介します。
平治の乱
時は遡り、1159年。
平治の乱で平清盛と源義朝が争い、平清盛が勝ちました。
これ以降、平氏が治めることになったので、この戦を平治の乱と言います。
そしてこの時に負けた源義朝は源頼朝のお父さん。
父である義朝は殺されてしまいましたが、頼朝はまだ13歳と小さかったこともあり、死刑は免れて伊豆へ流されます。
さて、この時に頼朝の監視役としてついたのが北条時政。
伊豆で運命の出会い
北条時政、どこかで聞いたことありますよね?
北条時政の娘といえば、北条政子。
そう、後に結婚するこの2人はここで出会ったのです。
通常だったら結婚できるはずもないロミオとジュリエット状態の二人ですが、なんと時政は結婚を許してしまいます。
これにより、源頼朝の活躍に合わせて北条氏も勢力を拡大。
北条家はあっという間に日本史に残る重要な家系として存在感を表します。
ちなみに戦国時代に豊臣秀吉が全国統一を果たした時に最後まで抵抗していたのが北条氏の小田原城。
平家追討命令
1180年に以仁王(もちひとおう)より源頼朝に平家追討命令が下りました。
と同時に平氏は源頼朝の討伐命令を出しました。
戦うしかなくなった頼朝は、幽閉されていた伊豆で挙兵したものの、すぐに石橋山の戦いで敗れ、敗走。
何とか逃げてきて真鶴岬から船で東へ逃げました。
そうしてたどり着いたのが安房国(あわのくに)。
今の安房郡鋸南町、安房勝山という駅があるあたりです。
鋸山(のこぎりやま)の南側と言った方がわかりますね。
命からがら逃げてきた頼朝が心機一転!
安房国についた頼朝は、北上していき、現在の袖ヶ浦に到着、飽富神社(あきとみじんじゃ)で休憩します。
飽富神社(あきとみじんじゃ)は関東三大イルミネーションで有名な東京ドイツ村の近くにあります。面白いことにこの地域の名称は飽富ではなく、飯富と書いて「おぶ」と読みます。そして飽富も飯富も、以前は「飫富」(おぶ)と書いていたので、神社の方の名称が途中で変わってしまったのでしょう。
この地にいたのが切替家の先祖である立野(たての)の長右衛門(ちょうえもん)。
長右衛門は頼朝軍が形勢を立て直すために土地を貸し、自身の竹林の竹を使って、ボロボロになった頼朝軍旗竿を作り直しました。
旗竿というのは、戦いの時に掲げる旗ですね。
こうして旗竿を新しくした頼朝軍は心機一転してやる気が出てきたため、頼朝は「ここから気持ちを切り替えていく。」として、長右衛門に感謝の意を込めて「切替を名乗れ」と言ったと言われています。
頼朝が上総国府を展望し、戦況を伺っていたと言われているのが、現在の山見塚遺跡と言われている場所で、現在の市原市立光風台小学校の西側に広がるゴルフ場に位置します。
また、上総国府の場所はわかっておらず、上総村上駅付近の村上地区説、五井と八幡宿の間の郡本説があります。
頼朝が長右衛門の裏山に作って戦勝祈願をしたと言われる神社があわす神社と言われており、そこには頼朝からもらった剣と頼朝が使用したと言われる茶釜があると言われていますが、それらしき名前の神社は多数あり、どこかわからず。五井にある阿波須神社だと由緒は古事記の記述に遡ってしまいますし、茂原にある安房州神社だと裏山と言うには遠すぎる。果たして…
その後、頼朝は安房国府を平定し、さらに北上して千葉常胤(つねたね)と手を結び、そのままの勢いで関東を一気に平定。
神奈川県の鎌倉に幕府を構え、さらに平氏を追い詰めます。
そして1185年にとうとう山口県の壇ノ浦まで平氏を追い詰めて、壇ノ浦の戦いで滅亡させます。
こうして鎌倉幕府が誕生しました。
気持ちを表した苗字は珍しいらしい
源頼朝が名前を授けた話は数多くあるのは知っていましたが、今回の番組によると、苗字というのは基本的に物や状態からつけられるものが多く、「切替」のように気持ちを表した苗字は珍しいとのこと。
言われてみると確かに。
生まれた時から切替だったから全然気づかなかった。
ちなみに私は横浜生まれで、お宮参りは鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)。
源頼朝が幕府を開いた場所ですね。
ま、親は切替の苗字の由来を知らなかったので、たまたまです。
たまたまなんですが、知るとちょっと親近感を感じる(笑)
そんな私が切り替えを目指しているのが教育のあり方。
偏差値も、判定も、成績も、点数も、そんなの気にしなくても勝手に伸びる!
という養殖教育から脱却した子どもの視点第一主義の教育を広めるべく、活動しています。
やってもやっても成績が上がらないと思っている方は、指導実績を読んでみて下さい。
子どもを煽り立てなくても、成績なんて伸ばせるのです。
あなたもここらで、勉強法を切り替えて見ませんか?(笑)
そんな甘い勉強じゃ通常しないと思ったあなた。
ブログに授業の様子や指導した内容を紹介しているので見てみて下さい。
ファイの勉強は開成でも余裕で通用しますよ(≧ω≦)
ちなみに、切替と言うと…
今回テレビに出ていた切替さんは、秋田県大館市にお住まいの切替義典(よしのり)さん。
廃墟になった映画館に住んでる家族として、以前何かのテレビに取り上げられていたような…
秋田にお住まいですが、千葉県出身だそうです。
メディアに取り上げられている映画館御成座(おなりざ)は、改修して奥さんの切替桂さんが運営しているとのこと。
そして今の60代の方々は切替徹さんという方の名前を聞いたことがあるかもしれません。
日本初のフェラーリオーナーズクラブを創設した会長で、車好きの人からはよく「切替徹さんの御親戚?」と聞かれます。
私はそんなことを知らずにスポーツカーの世界に入ってしまったので、「誰だそれ???」となってしまいましたが、「徹さんみたいに時速300km出して捕まるなよ」と未だにネタにされます(^^;
ちなみに私はスポーツカーには乗っていますが、ビビりなので大人しく運転しています、はい(笑)
今までの人生でも切替さんに何人かお会いしましたが、辿ってみるとみんな「あぁ、あそこの切替さん!」となるので、親戚の知り合いに収まる範疇の切替さんしかお会いしたことがありません。
まぁ切替の発祥が袖ヶ浦だからそうなるか。
切替さん、もし見ていたら連絡お待ちしております(笑)
「先生の名前って、本名ですか?」