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だから勉強が好きになる。漢字の間違いから学ぶ歴史

せっかくの漢字間違いを使わない手はない!

今回は地図帳の「」の漢字を「」と書き間違えたところから授業が展開されました。もっとも書いた本人は「なんか違うでしょ」と指摘しても気付いておらず,他の子が指摘してわかったため,漢字の意味の違いについて考えるように言いました。

地図帳借ります

するとまず書き出したのが「」と「」の漢字を使った熟語

「帳」と「張」の違い

帳:地図帳,連絡帳,自由帳,几帳面
張:幕張,拡張,縄張り,緊張

漢字の意味を調べて書き出す塾生

そこからそれぞれの漢字の持つ意味を考えていきました。は「とばり」といって,部屋を分ける垂らした布が始まり。このヒントを基に考えさせると,「上が止めてあって,ぱたぱたなるもの」というところに行きつきました。張は最初に幕張が来てしまったので,それ以外から「張る」をイメージさせました。これで二つの漢字の区別はついたのですが,ここでもう一つ問題が。

幕張の由来は?

諸説ありますが,千葉県には頼朝伝説が多数残されており,その中の一つに現在の幕張の地で馬を乗り換えたことから,「馬加わり」⇒「まくわり」⇒旧字体で「まくはり」と書くことから「まくはり」と読むようになり,いつしか「幕張」の漢字が使われるようになりました。天幕を張ったという説もありますが,馬加村(まくわりむら)という地名があったことから,明治までは「馬加(まくわり)」で,それ以降に天幕を張ったというのと混ぜて「幕張」に変えたのでしょうか。はっきりとしたことはわかっていないようですが,「バカ」みたいに見えるから変えたのかもしれませんね(笑)

 ⇒ 幕張についての詳細はこちら「幕張の地名の由来は?」

さて,これで幕張の地名の謎は解けましたが,あたらな疑問が。

「なんで頼朝は千葉にいたの?」

PHIでは日常的に子ども達の興味に合わせて授業をしているため,鎌倉時代の話自体はしたことがあります。その時の話も覚えていて,まだ習っていない子に子ども達同士で教え合っていたのですが,教えながら疑問が出て来たようです。

源頼朝はなぜ千葉にいたのか?

源頼朝伊豆に流されて,そこで監視されながら暮らしていたのです。その時に監視をしていたのが北条時政。源頼朝の妻,北条政子(まさこ)のお父さんですね。つまり,源頼朝は監視役の娘と恋仲になり,結婚したわけです。

その後,天皇(以仁王:もちひとおう)が政治の実権を握りだした平家を討伐しようと考え,伊豆へ流していた源頼朝平家討伐の依頼源頼朝は挙兵をし,伊豆で平家に戦いを挑むも敗走。現在の神奈川県真鶴岬(まなづるみさき:熱海小田原の間)から船で逃げ,安房国,現在の千葉県鋸山(のこぎりやま)の南,安房勝山(あわかつやま)へ上陸して立て直しをはかり,ここから源頼朝伝説が千葉県には多数生まれます。

ここで終わらないのがPHIの子らしいところ。「何で伊豆に流されたの?」ときました。

ここまで話がくれば,どこまで話を戻すかということになるのですが,「関東って平将門が乱を起こしてたから,源氏が東側ってわけではないでしょ?平将門は平氏だし,東西で源氏,平氏が分かれてたわけじゃないと思う。という話が出て来たので,今回は平安時代に遡りました。

源頼朝はなぜ伊豆に流されたのか?

まず大前提として,源氏も平氏も天皇家の子孫だということは押さえておいて下さい。学校の授業だけだと割と知らない人も多く,これを知らないと「突然出て来た人」になってしまいます。

だから勉強が好きになる:中学受験社会

―源氏,平氏のルーツは天皇

簡単に話しますと, 第50代天皇である桓武天皇には子どもが34人もいて,役職を割り振れなかったために東の方を治める武士としての仕事を作った。これが桓武平氏であり,下総(千葉)の平将門につながってきます。そして第56代天皇である清和天皇(せいわてんのう)の子どもは19人いて,ここから清和源氏が誕生し,源頼朝へつながっていきます。そのため,源氏も平氏も祖先をたどれば同じ天皇(桓武天皇)にいきつくわけです。

―平将門と源家との関係

さて,関東を治めていた平氏の一人である平将門は,親族(平国香)のいじめに合い,下総国でやむなく挙兵,常陸国(ひたちのくに)を制圧,勢いづいてそのまま関東全域を征服して新皇を名乗りますが,却下されて天皇側の軍に討伐されてしまいます。これを承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん),いわゆる平将門の乱のことです。そしてこの時の討伐に参加していたのが,源経基(つねもと)という,源氏の祖といわれる人物。この時から源氏は天皇の軍として動いていたんですね。そして平氏を討伐。もっともこの頃はまだ天皇家として,です。

―平清盛と源頼朝の父との戦い

その後もしばらくは天皇の時代が続く平安時代ですが,後に武士の勢力が上回るきっかけとなる保元の乱(ほうげんのらん)が起きます。このときに戦ったのが後白河上皇崇徳天皇(すとくてんのう)。そして後白河上皇側として戦ったのが,源頼朝の父である源義朝(よしとも)と平清盛。つまりこの時はまだ源氏と平氏は一緒に戦っていたんですね。

ところがこの戦いの後,平清盛が急速に勢力を拡大。これに反発して後白河上皇藤原家が対立。これが平治の乱(へいじのらん)。後白河上皇側に平清盛がつき,藤原家側に源義朝がついて戦いました。そして勝ったのが後白河上皇側。ここから平氏一族の支配が始まり,源氏は伊豆へ流されたのです。

 ⇒ 源氏,平氏の詳細はこちら 「源氏と平氏はなぜ争ったの?」

教えるからつまらなくなる!

たった一文字の漢字の間違いから子ども達の興味関心はここまで広がっていきました。もちろん広げるきっかけはこちらで作りましたが,あれこれ話しながら疑問をどんどん出して広げていったのは子ども達自身。教えこまれることに慣れている子どもだとこうも話は広がっていきません。実際大手の進学塾から転塾してPHIに入ったばかりの子は「え?なんで?授業は?算数は?みんなで話し合ってるだけでいいの?てかこれ何の教科?」とビックリして,ずっと戸惑っていました。でも最後には「今まで通ってた塾より,学校より全然楽しかった!社会の授業が学校でもこんな感じだったら絶対楽しいのに!」と言っており,それを聞いた子が「だからPHIの生徒はみんな勉強好きになるんだよ。点を取りたかったら自分で勉強するしかないんだけどね。」と言っていて,「わかってるならやれよ。」と思ったのは内緒(笑)

教科書や普通の塾のテキストではこの辺の流れをすっ飛ばして,いきなり平将門が出てきて,平清盛が出てきて,源頼朝が出てきます。これじゃあ名前と事件を覚えるだけで何も面白くないどうして争うことになったのか,どう戦ったのか,その結果どうなったのか。歴史が面白いのはここです。教科書やテキスト通り教えるのは,あくまで教えやすいというだけであり,子ども達の興味に任せてもいずれ埋まっていきます。もっとも受験を考えたらある程度の誘導は必要なので,そこはプロにお任せ下さい(^^)

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