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コンビーフ缶はなぜ台形?缶の歴史からナポレオンの戦術が学べる

なぜ台形なのか?

台形(枕缶)で有名なコンビーフ缶がとうとうなくなると話題になっていますね。

独特な開け方ゆえに開けにくい,面倒という意見もありますが,あれがまた懐かしさでもあります。

さてあのコンビーフ缶,なぜあのような台形なのでしょうか。

台形には意味があった

元々は一つの塊としてカポッと出せるように発明された形でした。

しかしこの形が思わぬメリットを生みます。

ホットケーキを焼いたことがある人ならわかると思いますが,真ん中から注ぐと端の方へ向かって伸びていきます。

これを容器の中に入れると,端の方には空気が溜まってしまい,隙間になってしまいます。

クレープ生地のようにサラサラなものなら空気が押し出されてピッタリ端まではいるのですが,粘性の高いものでは隅までは入りません。

そこで予め空気の入る部分を台形にして埋めておくことにより,空気が入る隙間を作らず,密閉することができるのです。

今の技術なら台形にしなくてもできるのでは?

確かに今の技術なら台形の形にこだわる必要はありません。

ではなぜずーっと台形にこだわってきたのでしょうか。

ノザキが作るこの台形の形はなんと70年も前から変わっていないのです。

つまり製造する機械もそのまま。

今回変更することになったのは,その機械が老朽化したためとのこと。

これまで変えてこなかったのはあの独特な形をブランドイメージとして定着する意味もあったのでしょう。

缶詰の歴史

缶詰は実はナポレオンが考えさせたものです。

あの1800年初頭に活躍した「私の辞書に不可能はない」で有名なナポレオン・ボナパルトです。

ナポレオンの時代は食糧の保存が難しく,遠征のたびに食糧問題に悩まされていました。

そこで保存が効くものとして開発させたのが缶詰です。

缶詰なら密閉されているため,一度加熱すれば殺菌されて,そのまま保存できるという訳です。

当初の缶詰は今の缶切りで開けるタイプの缶詰でしたが,当時は缶切りが存在せず,銃で撃ち抜いたり,剣で刺したりして開けていました。

日本に缶詰が伝わったのは1871年。

廃藩置県が行われた年ですね。

この頃には缶切りが発明されており,容易に開けられるようになったため,液体物も入れられるようになりました。

そしてイージーオープンエンド,いわゆる缶切りがいらない缶詰が発明されたのは1970年代になってから。

実に200年近く缶詰は進化せずにそのままだったのです。

北九州工業地域を救ったのも缶詰!

北九州工業地域は元々北九州工業地帯と呼ばれ,日本の四大工業地帯に名を連ねていました。

しかし元々は石炭による八幡製鉄所が牽引してきた産業。

石炭から石油へと移り変わると共に衰退していきました。

それを救ったのが缶詰。

九州は海に囲まれており,水産資源が豊富でしたが,当時は保存技術が発展しておらず,魚は遠くまで運べずに沿岸地域で消費するのみでした。

そこで水産資源を缶詰にすることにより,保存がきくものとして遠隔地へと販売することで衰退に歯止めをかけたのです。

コンビーフ缶は革新的な缶だった!

さてコンビーフ缶,発明された当初からクルクルと巻き取って開けるタイプでした。

そしてこのいわゆる枕缶が発明されたのがいつかといいますと,なんと1875年。

そう,日本に缶詰が入ってきた頃であり,イージーオープンエンドが開発される100年も前のことなのです。

時代を100年も先取りする缶切りがいらない缶だったのです。

今出回っている缶が最後!

台形のコンビーフ缶は既に製造しておらず,今出回っている缶が最後だそうです。

子どもが体験できる最後の機会になるかも知れません。

これも歴史の一幕。

見かけたらぜひ体験させてあげて下さい(^^)/

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