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肌色が消えた理由
肌色が消えた理由は受験勉強にも役立つ
ついこの間もファミリーマートが「はだいろ」と書いた下着を販売したところ問題になり、回収騒ぎになりましたね。
実は以前まであった肌色という色は、使われなくなったのです。
なぜなら、これは人種差別が関わる問題だからです。
最近は人種差別よりも男女差別の方が話題になることが多いのですが、世界で見ると人種差別はまだまだ残っているのが実情。
肌色もその矢面に立たされてしまったんですね。
そこで肌色が使われなくなった背景と合わせて、社会の授業をすることにしました。
今回はそんなファイの授業から抜粋しました。
一見受験とは関係なさそうですが、肌色という名称の歴史と仏教との関わりが分かると、大きな時代の流れにもつながって理解が深まります。
これだけで一つの歴史が語れるほど奥が深い内容なのです。
ぜひ使えそうなところだけでも頭に留めておいて、子どもと色の話をする機会が来た時に話してあげて下さい。
今は「薄橙」「ペールオレンジ」
「肌色」といえばベージュっぽい色のこと。
今の親世代、それ以上の世代では肌色を知らない人はいないでしょう。
しかし、今の子ども達は肌色を知りません。
クレヨンや色鉛筆から「肌色」の名称が消えたためです。
その代わり、薄橙(うすだいだい)、ペールオレンジと呼ばれる名前が付けられました。
ペールというのは英語でpale「薄い」という意味です。
とてもためになる内容のブログで、敬服しています。単に受験目的だけでなく、「学び」の楽しさ自体に子どもたちを、そしてもしかしたら保護者たちをも導いておられるように感じます。私は英語教師なので、職業柄、英語の表現や文法が気になってしまいます。お節介ながら、「肌色」について書いておられる中で、ペールというのは英語でpail「薄い」という意味です。とありますが、ここでの「ペール」の綴りは pale であるべきだと思います。pail という単語は実在しますが「手桶」とか「バケツ」という意味の同音異綴り異義語です。ご検討下さい。
hilarykingさんより
丁寧なメッセージ、及びご指摘ありがとうございました(^^)
修正させて頂きました。
なぜ肌色ではなくなった?
肌の色=黄色人種の色
という決め方が人種差別的だという考え方が出てきたためです。
要するに、「肌が黒い黒人、肌が白い白人の色は肌色ではないのか?」ということです。
クレヨンや色鉛筆を主に使うのは子どもなので、子どもは「お前の肌は肌色じゃない!」といったいじめにつながる可能性があるのです。
そのため、肌色という名称は使用されなくなりました。
今の子どもたちが「肌色」と聞いてもピント来ないのはいいことですね(^^)
肌色の歴史
宍色(ししいろ)という色をご存知でしょうか。
宍(しし)とは獣のことを指しますので、「獣色」という意味です。
この宍色は現在は伝統色という扱いになっているのでなじみがない方も多いかと思いますが、いわゆる肌色の前身です。
肌色という名称は、宍色という名称を使っていた時代に、度々肉食禁止令が出されて、獣の肉を食べられない時代があったのです。
すると獣の肉の色を知らない世代が生まれ、その人達は宍色がピンとこないという事態になりました。
そこで肌の色と表現するようになったと考えられます。
おそらく決定的だったのは、徳川綱吉の肉食禁止令だったと思われます。
綱吉といえば生類憐みの令で有名な将軍ですね。
肉食禁止令も厳格に運用されたことが予想されます。
肉食禁止令って?
日本では古来から肉食は穢れ(けがれ)として扱われ、度々肉食禁止令が出されていました。
現在の日本では肉なしの生活は考えられませんが、これらは欧米の肉食文化が浸透してきたものであり、戦前までは菜食が中心でした。
いわゆる「和食」ですね。
日本には元々土着宗教として神道(しんとう)、いわゆる神社の宗教がありました。
この宗教では死体は穢(けが)れていると考えられ、忌み嫌われていました。
浄化のために塩をまくという習慣からもわかる通り、科学的に理解していたわけではないものの、死体が腐敗して病原体をまき散らすことはわかっていたのでしょう。
そのため死体を食べる行為にあたる肉食は天皇を始め上流階級の人間は行わないもの、肉を食べるのは野蛮な人種とされてきました。
肉食禁止令を出した最初の天皇は天武天皇だと言われています。
これは日本の米文化において、田畑を耕すために牛や馬が重要な役割を果たしていたため、それらの動物を食べるのは野蛮だと考えたためです。
そしてこれらの考えを後押ししたのが仏教の考えです。
仏教では五戒(ごかい)という5つの戒め(いましめ)があり、その中の1つに殺生戒(せっしょうかい)と呼ばれるものがあります。
これは生き物を故意に殺してはならないという教えです。
日本に仏教を広めたのは聖徳太子。
593年に推古天皇の摂政となっていますね。
天武天皇は673年に天皇になっていますから、まさに仏教の影響を受けての肉食禁止令だと言えるでしょう。
そして752年に聖武天皇が大仏を作ります。
この年に殺生禁止令が出されています。
この時の殺生禁止令では猟師すら魚を取ることを禁止され、米が配給されたというからこの時代としてはかなりの徹底ぶりです。
そして鎌倉時代。
北条政子も狩猟禁止令を出し、武士の世界にも肉食禁止令を出します。
ところがこの後、別の宗教が入ってきて肉食が復活します。
それがフランシスコ・ザビエルによるキリスト教の布教です。
キリスト教では肉を食べても大丈夫だったので、キリスト教徒は政府の方針を無視して肉食を始めました。
秀吉や家康がキリスト教を禁止した理由の一つにこの肉食の考え方があるとも言われています。
そして徳川綱吉の生類憐みの令で徹底的に、庶民レベルまで肉食排除が進みました。
ちょっと脱線:鎌倉仏教
受験での必須項目に鎌倉仏教というものがあります。
・浄土宗:法然(ほうねん)
・浄土真宗:親鸞(しんらん)
・時宗:一遍(いっぺん)
・法華経(日蓮宗):日蓮(にちれん)
・臨済宗:栄西(えいさい)
・曹洞宗:道元(どうげん)
実はこの肉食に対する考え方から宗派も影響を受けているのです。
この時代、お上では肉食禁止が出されても、民間レベルではまだ浸透していません。
手紙もまだ未発達な時代ですからね。
そこで民間人を相手にして「肉を食べていても仏様は救ってくれる」と布教したのが鎌倉仏教である浄土宗、浄土真宗、時宗、法華宗。
それに対して旧仏教系である真言宗と天台宗はこれを批判。
肉食はいけないことだという布教を広めます。
この時に広まったのがいわゆる「地獄」という考え方です。
今の時代でも「地獄に落ちる」という表現がされますが、この時代に肉食に対する批判から広まった考え方なんですね。
今の時代,ほとんどの人が肉食なので,地獄も定員オーバーになりそうですけどね。
何を学ぶかではなく、どう学ぶか
ファイではこのように日常的に子ども達の疑問から授業が発展します。
しかし大抵のものはこのように派生して受験レベルのことはカバーできてしまいます。
塾生達は自分たちが疑問に思ったことだから、暗記科目として敬遠されがちな歴史でさえ目を輝かせて聞き入ります。
まさか「肌色」のネタ1つで歴史が学べるとは思っていませんからね。
でも長く通っている子ども達はそれがわかるのでどんどん疑問を持ち寄ります。
だからガツガツ解きまくる勉強をしなくても受験のテキストに書かれている程度のことは学べてしまうのです。
今回の質問はサピックスとファイを併用している子からの質問でしたが、ファイでは自由に授業を聞けるため、この質問を基にほかの子たちも一緒に勉強しました。
みんながあれこれ疑問を膨らませるから、どんどんのめりこんでいくのです。
特にサピックスの子は、断片の知識はちりばめられていることが多いため、それをつないであげるだけでも、今回のように社会の勉強が楽しくなっていきます。
ひたすらあおって暗記させる勉強から解放されたい方は、ぜひファイへお越し下さい(^^)/
「先日子どもと色の種類を交互に言っていくクイズをしていたのですが、私が『肌色』というと、『肌色って何?どんな色?』と言われました。肌色も知らないのかと思い、色鉛筆を出してくると、確かに肌色がありません。でも私が子どもの時は、確かに肌色があったと思います。なぜ肌色はなくなってしまったのでしょうか。」
サピックス併用 小4のお母さん