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バカと天才は紙一重?
「バカと天才は紙一重」とよく言われますが、実はこの言葉は慣用表現でも何でもありません。
英語では”There is a fine line between genius and idiot.”といい、訳が日本語とピッタリ合っています。
いつからこう言われるようになったのかわかりませんが、どこの国でも同じようなことは言われているようです。
さて、この「バカと天才は紙一重」。
慣用表現ではないということは、人によって様々な解釈があるということなのですが、あなたはどのようにお考えでしょうか。
バカなのか天才なのかはわずかな差しかない。
おそらく言葉通りそう捉えているのではないでしょうか。
捉え方は自由なので否定はしませんが、教育という観点で言えば、私はちょっと違った解釈ができると考えています。
それは、
「子どもをバカと捉えるか、天才と捉えるかは、親の考え方の紙一重の差である」
ということです。
つまり、子どもをバカにするか、天才にするかは親次第だということです。
世の中には多くの偉人がいますので、それらを例に挙げてみましょう。
ピカソ:子どもの落書きのような絵を描く天才
子どもの落書きなんて言ったらその道の専門家には怒られますが、あの絵の素晴らしさをわからない方はかなり多いと思います。
おそらく一般人100人中99人はわからないでしょう。
みんなが素晴らしいというから素晴らしいのだと考えているだけであって、評価はできないはずです。
小学生、中学生に見せても「自分の方がうまい」と言い出しますからね。
でもあの落書きのような絵はピカソの作品の一部でしかありません。
インパクトがありすぎてあちらが有名になっていますが、普通の人でもわかる絵も描いているのです。
例えば「科学と慈愛」「裸足の少女」「パイプを持つ少年」「初聖体拝領」「花束を持つ手」「アルルカン姿のパウロ」あたりは落書きレベルではないでしょう。
また、「ゲルニカ」は戦争に込められた思いが強く、それが話題となっています。
さて、このピカソ。
小さい頃から絵を描いているのですが、周りからは笑われ、バカにされていました。
にもかかわらず、絵を描き続けたのは、この絵の実力を最初に認めたのが父親だからです。
ピカソの父親は画家を目指していたのですが、息子の画力を認めて、全ての画材道具をピカソへあげて、自分は画家の道を諦めたといいます。
最初こそ笑われていたピカソの絵は、数人の目にとまり、その素晴らしさを伝えてくれ、次第に認められていきました。
これがあの落書きのような絵に代表されるキュビズムです。
アインシュタイン:相対性理論を導いた世紀の大天才
アインシュタインの名前とその写真は知らない人はいないでしょう。
相対性理論という光と時間の関係についての理論から様々な物理現象を説明した人物で、核の持つエネルギーに注目し、核爆弾の原理を思いついた人物でもあります。
そんな彼の小さい頃のあだ名は「のろま」。
何をやっても人並みにはできなかったそうです。
成績は全く取れず、学校の先生からは「この子は将来何もできない子になる」と言われていたといいます。
しかし実は一つだけぶっちぎってできたことが一つだけありました。
それが算数です。
算数への理解は他の子どころか先生すら抜いていて、9歳の時にはピタゴラスの定理(三平方の定理)の美しさにひかれ、先生よりも美しい証明をしたと言われています。
この才能を最初に認めたのもやはり親でした。
母親は教育ママで、あれこれやらせようとしたらしいのですが、父親はアインシュタインが得意とする、興味を持つものだけに特化させ、応援したそうです。
結果的に彼は思考実験が得意となり、そこから人の目では見えない光と時間を頭の中で実験し、相対性理論を思いついたのです。
イチロー:世界が認める野球の天才
偉人というと世界の偉人ばかりで日本人はいないのかと言われそうなので、あえて日本人、かつ現代の人を紹介しましょう。
イチローはみなさんもご存知でしょう。
2018年に選手としては引退しましたが、大リーグ史上30人目、日本選手初の通算3000安打を達成したプロ野球選手の1人です。
野球を知らない人からしたら何が凄いのかわからないと思いますが、とにかく凄いのです。
彼の幼少期はというと、実は幼少期から既に野球も学業も優秀でした。
バカと天才は紙一重のはずなのに、バカの要素が見当たらない(笑)
しかしそれは既に幼少期から彼の能力が引き出され、認められていたからとも言えるのです。
なにせ野球は小さい頃から毎日欠かさず父親と一緒にやっていたそうです。
しかもそれが高校生まで続いていたというのですから、父親の力の入れ方も相当なものです。
もちろん父親自身はプロ野球選手ではありませんでしたが、野球はずっと力を入れてやっていたそうです。
バカとして扱うか、天才として扱うか、は親次第
世界の偉人たちの親が全てそうだという訳ではありませんが、親が認めた能力を極めることで生き抜いた偉人が多いのは確かです。
モーツァルトの父親も音楽家でしたが、やはり息子の才能に気付き、自身は音楽活動を止めて息子のサポートに徹したと言います。
童話で有名なアンデルセンも幼少期はひたすら切り絵遊びをする子で、先生には認められませんでしたが、親はそれを認めて好きにやらせていたそうです。
なんと先生の教育方針よりも子どもがやりたいことを優先するために転校までさせているのです。
その結果、想像力が育まれ、「マッチ売りの少女」「みにくいアヒルの子」「人魚姫」といった絵本でも有名な物語を作り出しました。
アナと雪の女王の原作、「雪の女王」もアンデルセンの作品ですね。
なぜか父親ばかりが主導権を握って育てているように見えますが、この陰には必ず母親の存在もあります。
母親は表立って出ていないだけで、父親が子どもを認める教育ができたのは母親の支えのおかげとも言えます。
父親にせよ、母親にせよ、子どもをバカとして扱って育てていたらこれらの偉人は誕生しなかったかも知れません。
親が天才と認めて伸ばしたから結果が出たのです。
親が天才と認めても、周りが認めなければ天才にならない
偉人は極端な例かも知れませんが、親だけが認めても天才は誕生しません。
親が子の才能を認めるのは大前提ですが、先程の偉人も、親が周囲のサポートできる環境を用意し、活躍の場を与えているのです。
つまり、親だけではなく、周りに認めてもらえる環境をいかにつくるか、認めてくれる先生を用意するか、も大切な要素であると言えます。
また、親自身がその道の天才である必要もありません。
偉人達には親自身がその道の人だった人物も多いのですが、全然関係ないところから誕生した偉人も多数います。
これは親がその道を知らなくても、その道を指し示してあげることで、あとはその環境の人間が導いてくれたためです。
フェイスブックを作り上げたマーク・ザッカーバーグも父親が子どものプログラミング能力を認めて、プログラミングの家庭教師をつけたことにより、みるみる吸収し、能力を発揮していったそうです。
父親はただ新しい物好きというだけで、パソコンやプログラミングができたわけではありません。
紙一重だが、確実に紙一枚分の隔たりはある
結局親が子どもをどう評価するかで決まるので、確かに子どもがバカか天才かは紙一重の差です。
しかし、その紙一枚分を破って反対側にいけない親が多いのは事実です。
紙一枚でも、間にあれば向こう側は見えません。
障子と一緒ですね。
障子が閉まっている部屋から外の景色は見えません。
たった一枚薄い紙が貼られているだけですが、見えないのです。
そして障子に穴をあけるのはいけない事だと教えられているから、障子に穴をあけるようなこともしません。
子どもはそんなルールを知らないので、障子に穴をあけてみる。
親はそれを叱って穴をふさぐ。
それが当たり前のことだと思っているから。
何も特別なことをしろと言っているわけではありません。
せっかく開けた穴ですから、子どもと一緒にその穴の向こうの世界を見てみてはいかがでしょう?
見た結果、ダメだと思うなら塞げばいいだけです。
面白そうだと思えば、障子をあけて踏み込ませればいいでしょう。
しかし現状の教育では、障子に穴をあける事すら許されず、穴の向こうを見もせずに塞ぐことを教えている親や先生が多いのです。
その結果、子どもはバカの部屋から出ることなく留まり続ける。
たった紙一枚ですが、そこに親の否定や拒絶意識が入ると、とてつもなく大きな壁になってしまうのです。
勉強しろと叱りつけている親。
勉強しないことにいら立つ親。
子どもの失敗を頭ごなしに怒る親。
大人の時間の都合に合わせてはやし立てる親。
ちょっと子どもに寄り添って、子どもと一緒に向こうの世界を見るだけでも、違った世界が広がってきますよ。
勉強で壊れた親子関係を改善したい方はご連絡下さい。
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