目次
大晦日の由来を子どもにわかりやすく
大晦日は中学受験ネタの宝庫
大晦日(おおみそか)。
言わずと知れた、12月31日のことですね。
オンライン授業でもよく聞かれる、中学受験に役立つ年末のネタをお話ししましょう。
大晦日「おおつごもり」+三十日「みそか」⇒大晦日(おおみそか)
大晦日(おおみそか)というのは、晦日(みそか)の大きなもの。
晦日というのは実は「つごもり」と読み、月が新月で見えなくなる月隠り(つきごもり)が転じて出来た言葉をさします。
そして年の一番最後に月が隠れる日を大晦日(おおつごもり)と呼び、これが新暦になっても残ったため、年の最後を大晦日と呼ぶようになったのです。
さらに三十日を「みそか」と読み、月の最後を表していました。
つまり、月が隠れる晦日「つごもり」と、月の最後の日である三十日「みそか」の読みと漢字が混ざって、晦日「みそか」となったものなのです。
ちなみに七夕や端午の節句、七五三、お盆といった年中行事は大抵旧暦の影響を受けています。
旧暦とは
旧暦というのは、日本で1873年まで用いていた暦(こよみ)で、今の7日周期の曜日とは異なり、6日周期の暦(六曜)を使っていました。
大安とか仏滅とカレンダーに書いてあるあれです。
六曜については以前話していますので、そちらをご覧下さい。
ちなみに難関中の入試では結構よく出るネタで、オンライン授業でも毎年人気の話題です。
大晦日に行うといい行事
年越しそば
年越しそばは江戸時代から広まった風習で、地域によっても扱いや由来が違いますが、よくあるものを紹介すると、
「蕎麦のように細く長く生きられるように」
「蕎麦のように、一年間の苦労や借金が簡単に切れて欲しい」
「側(そば:家族)の縁が長く続くように」
といったものがあります。
なお、年越しそばを年明けに食べると金運や健康運に恵まれなくなるといい、23時半~年明け前までの30分で食べるといいと言われています。
しかしこれも地域によって異なり、年明けに食べる地域もあります。
夕飯として食べる人も多いため、地域に合わせるか、特に気にしなくてもいいでしょう。
そして、これを口実に家族そろって食べるようにすれば、普段は一緒に食べようとしない子でも、家族団らんの時間を取ることができます。
受験生にとって、この時間は大切な時間です。
受験以上に大切なものがあると感じさせることができる重要なタイミングですからね。
その大切なことについてはこちらの記事で触れているのでご覧下さい。
ちなみに新蕎麦と言われるとれたての蕎麦が出回るのは9月末~10月初めにかけてで、年内いっぱいくらいまでを新蕎麦と言います。
よってこの時期の蕎麦は比較的美味しいと言われています。
昔は「夏蕎麦は犬も食わない」と言って6~8月に取れた新蕎麦はまずいと言われていましたが、実は今の蕎麦は冷蔵技術が進歩したため、秋の蕎麦と区別がつかないほどおいしくなりました。
また、季節が逆転するオーストラリアで栽培して日本に輸入してきている蕎麦もあります。
「夫婦喧嘩と夏の蕎麦は犬も食わない」ということわざがありますが、それは昔の話。
技術の進歩で一年中おいしくなったのです。
この辺りは文化と貿易にも通じて来るので、知っていると受験にも有利ですね。
オンライン授業でもみんな結構食いついてきます。
夫婦喧嘩は夏でなくても食べられない、食べたくないものですけどね(^^;
大掃除
大掃除の由来は煤払い(すすばらい)で、掃うことにより、清めるという意味がありました。
そして新年の神様を迎え入れるために正月の行事がありました。
この辺りは神道由来の考え方ですね。
そのため、大掃除をしないと福が逃げると言われています。
最も本当に福が逃げているわけではなく、大掃除もできないようなゆとりのない生活、けじめがない生活では福が来ないと言う意味でしょう。
なお、福が逃げるから大掃除をした方がいいわけではなく、大掃除をすることで、今までたまってきた足取りと記憶を整理するきっかけになります。
今までの教材を整理したり、ノートを見直したり。
受験で忘れていた生活で起きた様々な出来事も整理することができます。
こうすることで、どうして今こうなっているのかを冷静に見ることができ、今後どうするべきかが見通しやすくなります。
掃除そのものが目的ではなく、こういったメンタル的な部分の方が受験にとって大切なんですね。
テレビ番組・イベント
以前は大晦日の番組と言えば「NHK紅白歌合戦」からの「ゆく年くる年」でしたが、最近は各種テレビ局も力を入れていて、奪い合いの様相です。
NHKもあぐらをかいていられないとばかりに、若くて人気のあるアーティストをどんどん入れるようになりました。
が、私はかれこれ二十年近くテレビを持っていないため、お正月特番と縁がない(^^;
塾生や友人にも「テレビ無くてどうやって生活してるの!?」と言われますが、テレビは情報収集のためのツールに過ぎないため、文字情報の方が早いんですよね。
テレビは話してくれるまで待っていなければなりませんが、文字情報なら自分のペースで読めるじゃないですか。
とはいえ、テレビで家族が集まることができるのなら、それもいいでしょう。
楽しいことはもちろんですが、家族で過ごす時間を大切にしてあげて下さい。
この時間を削って勉強したところで、大した差はありません。
むしろ、そのゆとりのなさに足元をすくわれてしまいかねませんよ。
除夜の鐘は中学受験に結構使える
108回の理由
除夜とは年最後の日のことを指し、その日の夜につく鐘を除夜の鐘と言います。
お寺で108回鐘をつくというあれですね。
ちなみに煩悩の考え方も、除夜の鐘の考え方も仏教に由来しています。
つい1か月前はケルト民族のハロウィン(ケルト民族)、6日前にキリスト教の降誕祭であるクリスマス(キリスト教)をやったばかりなのに、年の瀬は仏教、そして年明けに神道(しんとう)と目まぐるしく宗教を変えるのは日本人ならではですね。
この除夜の鐘、煩悩の数である108回鳴らすのは有名だと思いますが、子どもに、
と聞かせたところでよくわからず終わってしまいます。
これではもったいない…
中学受験とは直接かかわりなくても、興味を持てばどこかで勉強にもつながってくるものです。
オンライン授業で話している、塾生が興味を持っていることを基に話しましょう。
除夜の鐘を通して仏教の世界観を感じることができ、それが宗教の解釈に一役買いますので、無駄にはなりませんよ。
煩悩とは
煩悩というのは仏教の考え方の1つで、人を苦しめている原因は自らの煩悩だと捉えています。
その苦しめている煩悩というのが108個あり、その中でも最も苦しめていると考えられているのが、3つの煩悩で、これらを三毒の煩悩と呼びます。
- 貪欲(とんよく):欲しがる、求めたがる欲求。
- 瞋恚(しんい):物事に対する怒りの気持ち。
- 愚痴(ぐち):恨み、妬みの気持ち。
ちなみに人間は煩悩の塊(かたまり)であると考えられているため、煩悩からは逃れられません。
そのため、死してこの煩悩のない世界(涅槃:ねはん)を目指すために仏教では修行をするのです。
これについては宗教は宗派によっても解釈が異なるため、この考え方が絶対という訳ではありません。
108個の理由
なお、108の煩悩は、実はちゃんと全部書き出して108個という訳ではありません。
諸説ありますが、
六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)
×三不同(好・悪・平)×二法(染・浄)
×三世(前世・現世・来世)
=6×3×2×3
=108
というのが一番仏教っぽい解釈かなと。
オンライン授業で話したら、
「ワンピースでゾロが言ってたセリフのこと?」
と言っていたので調べてみました。
ロロノア・ゾロが三十六煩悩鳳(三十六ポンド砲)という技を使うときに言っていましたね。
三世が抜けていたので、かけて36になっていましたが、まぁこれと同じと考えていいでしょう。
こんな感じで、マンガでも仏教を学べるんですね(笑)
マンガもなかなか侮れませんね。
ということで仏教ネタはワンピースを見ている子、ゾロが好きな子なら喜んで食いつく可能性が高いでしょう。
36ポンドとは約16kg。
ボーリングの玉が大体12ポンドくらいのものがあるので、この玉3つ分を投げつけた威力という感じでしょうか。
まぁ体験して見たければ、ペンキなどの一斗缶が大体16kgぐらいなので持って見るといいかも知れませんね。
除夜の鐘を突きに行こう!
除夜の鐘はお寺に行けばつくことができます。
神社は神道(しんとう)ですから除夜の鐘はつきません。
この辺りはお寺と神社の決定的な違いなので、違いを考えさせてみるといいでしょう。
また、108回と決めている厳格な所もありますが、大抵の場合108回以上ついていますので、行けばつくことができます。
というのも、鐘の音を聞きながら祈る(煩悩を祓う)ことに意味があり、自分がついたものではなくても、鐘の音を聞いて祈れば除夜の鐘の意味は十分あるとされているためです。
そのためお寺としては108回を超えても何も問題ないのです。
なお、除夜の鐘の除夜とは「徐日の夜」の意味で、要するに大晦日のことです。
「徐」には古いものを捨てて新しいものを迎えるという意味があるため、1年の最後、大晦日を指すのです。
夜出歩くこと自体少ないですし、子どもにとっては非日常です。
この雰囲気は結構印象に残ります。
こういう経験が、巡り巡って勉強にも役立つのです。
合格したければ、親が煩悩をはらうべき!
子煩悩という言葉がありますが、これは現在では子どもを非常に可愛がっている様子を指します。
しかしこれも仏教でいう所の煩悩の通りで、子どもがいるとあれもこれもと煩悩が膨れ上がることから、子どもを可愛がる様子を子煩悩と言うようになったものです。
決して親を苦しめているのは子どもだという意味ではなく、子どもによって煩悩がかきたてられているということです。
そう考えると除夜の鐘をつくべきは子どもよりも親の方かも知れませんね。
受験に入試、テスト、成績、と親の煩悩の数は子どもと比較にならないでしょうから。
さて、今年もあとわずか。
最近は日本の文化を大切に、という観点から正月イベントについて出す学校も増えてきましたが、そんなことよりも受験前に落ち着いて家族で過ごせる数少ないチャンスです。
年を越したらあっという間に受験です。
正月の家族行事を行ったところで、失われる時間はたかだか数時間です。
その数時間を惜しんで勉強できる子なら、今までも時間に大切にしてきたはずですから、既にアドバンテージをもっているはずです。
逆にお正月だけ時間を大切にしようなんていう考えの子は既に手遅れ。
習慣による時間の無駄遣いは、一時の家族行事を削った程度ではカバーできません。
そんなことよりも、家族行事を行う方が余程有意義でしょう。
慌てず、家族との時間を大切にする年末年始にして下さいね。
それではよいお年を(^^)/
「煩悩の数である108回鳴らすんだよ。」