はじめに
親が子育てにおいて、子どもをある方向に導こうとして叱るのは当然の事です。
しかし理想と現実にはギャップがあり、思い通り完璧に育つ子はほとんどいません。
親にとっていい子が、世間一般で言ういい子とは異なる事もありますから。
今回は理想ではなく、現実的な話をします。
すなわち、子どもをどう育てたいか。

子どもをどう育てたい?
一般的に親の子育ての要望は大きく以下の5つに分類されます。
- 学歴、肩書き、成績において優秀な子にすること。
- スポーツ、芸術系で優れた成績を収められる子にすること。
- 性格、人格が優れた子にすること。
- 社会人として、親として、立派に生き抜ける子にすること。
- その他、ニッチ、マイナーな特定の分野で優秀な子にすること。
① 学歴、肩書き、成績
塾に入る子の親の要望はほとんどが①の学歴、肩書き、成績を少しでも良くしたいという思いからでしょう。
しかし残念ながら今の都市周辺の教育環境は、学歴が優秀だった方が教育にお金をかけ、子どもも優秀な成績を収めるケースが多く、親の学歴に左右されずに子どもの成績を伸ばすためには、子どもにどれだけお金をかけるかが要になっているのが現実です。
もちろん必ずしもトップレベルを目指しているわけではないとは思いますが、それでもやはりある程度は教育にお金をかけなければ平均以上になるのも難しいのです。
② スポーツ、芸術系
スポーツ、芸術系に優れた成績を収めている子は、親自身がその世界で活躍するスポーツ選手だったり、芸術家だったりすることが多い傾向にあります。
特に一流アスリートともなるとその傾向か強く、親が何かしらの関係者だったケースがほとんど。
全く土壌が違うところから子どもが一流アスリートや芸術家になることもありますが、現実的にはほんの一握り。
時々学歴もあってスポーツも万能、性格もよく、教養も素晴らしい才色兼備な方が身近にいるとおっしゃる方がいらっしゃいますが、そういう方だから話題になるだけで、そうでない普通の人は、それが大多数なので話題に上がらないだけなのです。
③・④ 性格、人格、社会人
③、④に関してはまさに親の育て方がそのまま反映される部分です。
そのため特別な場合を除いて環境を用意する必要はなく、自然体で学ばせることができます。
もちろん経験がものをいう世界なので、様々な経験をさせてあげる必要はあるでしょう。
⑤ ニッチ、マイナー
⑤に関しては、あまり一般的には手を出さない分野での勝負になりますので、小さい頃からそれにガッツリと入れ込んでいる子に多いようです。
もちろん大きくなってそのままその方向に進めるかは別問題ですが、マイナーなジャンルなら、やり込むことで勝てる可能性が高くなります。
大切なのはバランス
この中で重要なのは?
と言われてもなかなか選べないと思いますが、それはあなただけではありません。
みんな選べないのです。
学歴が良くても使えない社会人は沢山いますし、スポーツはいつできなくなるかわかりません。
性格が良ければと思っても、賢さがなければ騙されやすい子になってしまいますし、生きていくといっても賢くなければ生きていくのも大変。
つまり、大切なのはどれかを選ぶことではなく、バランスを取ることなはずなのです。
とは言っても時間は有限。
全てをパーフェクトに満たす子を育てようとしてもなかなか現実的には難しいものです。
何かに秀でていれば、何かで欠点を抱える。
それが現実です。
そのため、100の素質を持っているとして、それを①~⑤のどこに振り分けて育てるか、という事が重要になるわけです。
子どもは自我が目覚めると共に、自分の進む道を探し始める
親がいくら色々なことを先回りして考えていても、子どもは自我の目覚めと共にあらぬ方向へ向かい始めます。
もちろん子どもも同じ方向を向いて歩いてくれていれば問題ないのですが、大抵の場合、目先のものに惑わされて道を外れていきます。
ゲーム中毒、携帯・ネット中毒、テレビ中毒はまさにその典型ですね。
その先に進む道はいばらの道なのですが、そのいばらの道を抜けた人を引き合いにして、自分もユーチューバーになるだとか、プロゲーマーになるだとか言い始めます。
こうなると親が望む素質ではない方向へ進み始めるのです。
時間は有限だという事をわかっていない
もちろん人なので、完全に数値化して話をすることはできませんが、100の素質を振り分ける場において、振り分けられない方が多いのは事実。
例えば今受験生の方は、やはり①学歴、肩書き、成績を上げたいと考え、そのために塾に入れているでことしょう。
しかし、そちらに配分を回すという事は、その他の②、③、④、⑤は犠牲にする事になるということをわかっていないのです。
部活や習い事優先で生活している場合は、①、③、④、⑤を犠牲にするはずなのに、あれもこれもと要求することが多いのです。
何をどこまで犠牲にして素質を伸ばしたいのか、それは親としても欲張らずに覚悟をして育てるべきでしょう。
つまり、「勉強しなさい!」と言うという事は、「スポーツや習い事、性格、社会性は犠牲にしなさい!」と言っているのと同義だという自覚は持っておくべきなです。
その覚悟が中途半端だから、結局はどれも思うようにいかないといった結果になるのです。
それでも子どもにあれもこれも望んでしまい、あれもこれもと要求する方。
あなたはそんなに立派な方なのですか?
それを要求するに見合う教育を受けさせるだけの資金と時間をお持ちですか?
もし持っているということでしたら、才色兼備を現実のものにする環境は十分整っていると言っていいでしょう。
その場合、この先を読む必要ありません。
素質の総数を増やすことはできないの?
では子どもが持っている素質は増やせないのかと言いますと、実は素質の総数は増やせます。
素質を増やすための条件は以下の3つ。
- ①~⑤のバランスが整っていること。
- 親が子どもの足りない素質を見つけ、増やしてあげられること。
- 子どもが自主的に考え、動くことができること。
この条件に当てはまれば、素質の総数は次第に増えていきます。
普通の人が元から持っている素質を100とすると、それを200にも300にもすることができます。
時々いる才色兼備な子というのは、この条件がそろっている子なんですね。
つまり、強させなきゃと焦って①を伸ばそうと思っても、②~⑤のバランスが整わないと、限られた素質を奪い合う事になります。
すると結局自我が目覚めて反抗期が進むに伴い足の引っ張り合いが起きて、伸び悩みを起こすのです。
そのため、時間がかかっても①~⑤のバランスを整えるようにすると、素質の合計そのものを増やせるので、結果的に①に力を入れようと思った時に配分しやすくなります。
自我の目覚めや反抗期がない子では、素直に言うことを聞きすぎて素質に偏りが生じ過ぎてしまう可能性があります。
こうなると、それ以外の素質を伸ばすことができなくなり、その素質のみでしか生きられなくなってしまいます。
もちろんそれが悪いことというわけではありませんが、その特化した素質が通用しなくなったときにどうなるかは想像に難くないでしょう。
勉強を何とかしたいのであれば、犠牲をしっかりと織り込むべき
もし勉強をさせたい、成績を伸ばしたいと思っているのにうまくいかない場合は、もう一度目標をしっかりと定め、そのために何を犠牲にするかをハッキリさせるべきです。
すなわち、②~⑤を犠牲にする覚悟を持つべきということです。
どんなに綺麗ごとを言っても、あなたが①を求める限り、②~⑤は犠牲になります。
子どもは基本的に①以外を選びますから、いかに丸め込んで、もしくは強制的に②~⑤を排除するかにかかってきます。
親の覚悟が足りなければ、結局伸ばすには至りません。
もし①だけを選びきれないのであれば、一番現実的な方法は子ども自身に①を選ばせ、親が②~⑤のバランスを整えてあげることです。
中途半端に①を望んでも、子どもはそれを避けようとして②~⑤が足を引っ張ります。
やってみてダメなら、もう素質の総量自体が少ないのは目に見えていますから、キャパを広げる方が、子ども自身で①を伸ばす方向に向かう可能性が高まるのです。
物事には必ず二面性が存在します。
メリットがあればデメリットもある。
子育てとてそれは同じです。
見えている部分だけを引き上げようとしても、見えていない部分が足を引っ張ります。
バランスを欠くと、調整が入ります。
目の前に見えている事を指摘するだけなら、親でなくてもできます。
親にしか見えない、見えていない部分を育てることでバランスを調整すれば、子どもは自ら勉強でバランスを取ろうとします。
見えていない部分を育てることで、見えている部分も育つのです。
ここ数日で子どもと話したことが、目に見えることだけだったか、目に見えない部分だったか、考えて接してあげて下さいね。
受験に焦って表面的なことしか見えなくなってしまった方は、ファイへご連絡下さい。
アドバイスしますので、一緒にお子様の伸ばし方を考えていきましょう(^^)/
コメントを残す