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ウクライナ(クリミア)情勢から学ぶ、子どもを賢くする話題

地球のイメージ

時事問題としてのポイント

2014年,ウクライナの南部,クリミア半島が独立を宣言。

ロシアへの編入を求め,ロシアのプーチン大統領がこれを承認,クリミア自治共和国とする事を宣言。

しかしこの編入に際しロシアが軍事行動を起こした事が問題視され,ウクライナの新大統領ペトロ・ポロシェンコはもちろん,EUなど欧米諸外国はこの独立及び編入を認めていない。

世界情勢の話なので,中学入試としてはそこまで重要ではないでしょう。しかしウクライナは重要単元と位置付けられてはいないものの,何かと絡んでいて知っていると関連付けしやすいことが多数あります。

ここではPHIで実際に子ども達が疑問に持った場所を中心に説明していきます。

雑学として,話しのネタとして,興味を持ったものだけでも子どもと話題にしてみて下さい(^^)/

クリミア半島とは?

クリミア半島の場所は黒海の北部にある半島部分。2014年のソチオリンピックが開かれた場所は黒海の東側なので非常に近い。

1945年にヤルタ会談が開かれたヤルタはこのクリミア半島の南東に位置する場所。

また,銀行強盗がよく使っている目と口だけ穴があいている覆面(バラクラバ)は1853年のクリミア戦争の時にバラクラバ(Balaklava)いう場所で用いられたもの。

寒冷な土地(バラクラバ)で少しでも暖かくして戦えるようにと,妻や恋人が持たせたもの。

これだけでも結構強い印象付けができます。

ヤルタって?

1945年ヤルタ会談が開かれた場所。

アメリカ(ルーズベルト),イギリス(チャーチル),ソ連(スターリン)が会談した。第二次世界大戦後の国際秩序に関する方向性を定め,約束事を交わした。

北方領土問題,北朝鮮と韓国の領土問題など,現在にまで影響を及ぼしている問題の発端となった会談でもある。

ソチって?

2014年にソチオリンピック(冬季)が開催された場所 ソチ。

羽生結弦選手がフィギュアスケートで金メダルを取った大会ですね。

クリミア半島の歴史

クリミアの歴史は紀元前にまで遡(さかのぼ)り,何度も侵略,支配されてきた。

13世紀にはモンゴル帝国,15世紀にはオスマン帝国からの支配も受けている。

1783年にロシア帝国のエカチェリーナ2世ロシアの南下政策の一環としてクリミア・ハン国を併合。

エカチェリーナ2世は大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)が漂流した時に謁見したロシアの皇帝(女帝)で,ラクスマンに日本へ送り届けて貿易交渉をするように命じた人物でもあります。

この後,1853年からフランス,イギリス,オスマン帝国などが宗教上の問題からロシア帝国と激突。

その戦場となったのがこのクリミアで,この時の戦争がナイチンゲールが活躍した事でも有名なクリミア戦争

ナイチンゲールって?

クリミアの白衣の天使

複数の言語を操り,数々の学問を習得した彼女は,戦場で敵見方関係なく傷病者の看護した天才少女

色々な逸話があるのですが,ここでは割愛。

大切なのはこの1853年,今から150年ほど前にヨーロッパとロシアが大規模衝突したということ。

そしてその場所がクリミアだったということ。

なぜウクライナ政府とクリミアは仲が悪い?

ロシアはまだ産業革命を経験していなかったので,その武力差は歴然。

結局ロシアは負けたのですが,宗教戦争が原因だったので,クリミアは領土的にはロシアのまま

だからロシアにとってクリミアは特別な場所であり,因縁の場所でもあるのです。

ところが1917年にはロシア内戦によりロシアはソ連へ。

その時クリミアは,クリミア自治ソビエト社会主義共和国としてソ連に編入。

第二次世界大戦の時にはナチスドイツが占領。

ドイツが負けてからはソ連に戻されるも,1954年にはウクライナ・ソビエト社会主義共和国へと移管。

ソ連が崩壊してウクライナが独立してしまい,クリミアはそのままウクライナに編入されました。

そんなわけで,クリミアは何度も侵略,編入を繰り返しているものの,基本的にはロシア中心の政治でした。

だからロシア派が多いのです。

ところがウクライナはソ連から独立した事を考えても,どちらかというと親欧米派

独立した時に一緒にウクライナになってしまいましたが,クリミアは本当はロシアとくっつきたかった。

だから1992年にはクリミアはウクライナからの独立を決議してクリミア共和国を立ち上げることを宣言したのです。

宣言後はどうなった?

ところがウクライナは大切な領土が減る事になるのでそれを許さなかった。

それに反発したのがロシア。

「独立したいって言ってるんだからさせてあげればいいじゃないか!」と独立を支持。

そして2014年。

ウクライナ経済の低迷によりヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権が崩壊

今がチャンス!とばかりにロシア派と親欧米派の対立激化

その時に武装勢力が政府の建物と議会,空港などを一挙に占拠。

これはロシア軍と見られるが,プーチンはこれを否定。

もしこれがロシア軍なら,立派な軍事介入で国際的にも大問題!

この占拠された状態でクリミアはロシア編入の住民投票を実施し,9割以上の賛成を経てウクライナからの独立を宣言。

ロシアのプーチン大統領もこれを承認し,「自国民(編入されたのでロシア人でしょ!)を守るため!」と言って公式に宣言してクリミアを占拠

この後にウクライナは新大統領をペトロ・ポロシェンコとしたが,その時クリミアはすでにロシア軍が占拠。

ペトロ・ポロシェンコはプーチンと直接会談をし,「クリミアはウクライナの領土だ。」と明言。

ヨーロッパ,欧米諸国も軍事介入をした違法な編入だとして認めていない

それゆえクリミアでの軍事衝突はもちろん,ロシア対欧米諸国という対立も生み,世界情勢にまで不安定な影響を及ぼすまでになっています。

ちなみに…

大統領のペトロ・ポロシェンコ氏はチョコレート王とも呼ばれ,チョコレートの会社で大金持ちになった人物。

その前のヴィクトル・ヤヌコーヴィチは贅沢三昧の生活をしており,税金を私腹を肥やすために使ったとされて相当批判を浴びています。

逆に言えば,すでにお金持ちならそういう心配もないだろうという考えからチョコレート王のペトロ・ポロシェンコ氏が支持されたと言われています。

日本にも影響があった

クリミア戦争があった1853年は日本にとっても重要な年だったはず。

そう,ペリーの黒船来航

このクリミア戦争でロシアもヨーロッパもみんなクリミア地区に注目が集まっていたから,誰も日本を相手にしようと思っていなかったのです。

そこにサッと目をつけて入りこんできたのがペリーの黒船来航。

吉田松陰もクリミア戦争の影響を受けた人物の一人。

長崎からの密航を計画していましたが,クリミア戦争が始まってしまったためにロシア艦が予定より早く引き上げたため失敗。捕まって処刑されました。

これを安政の大獄といいます。

天気予報から女子高生のカーディガンまで

天気予報ができたのもこの時期。

フランス政府がこの戦争のために暴風雨の研究をパリ天文台に指示したのがきっかけです。


ノーベル賞で有名なアルフレッド・ノーベルも関係しています。

ロシア軍の機雷設置,兵器開発などでかなり儲けたため,「死の商人」と言われていました。


アームストロング砲が開発されたのもこの時期です。

同時代の大砲に比べて軽量,装填が早い,楽,命中率が高いといった,圧倒的に優れた性能を持っていました。

さらに女子高生に大人気のカーディガン

クリミア戦争バラクラバの戦いの時に無謀な突撃をして大損害を出した事で有名なカーディガン伯爵が考案した服。

彼は軽騎兵旅団673名を率いてロシア軍砲兵陣地に正面から突撃し,死傷者278名という大損害を出しました。

これは「無謀ではあるが勇敢である」と評価されていて,数多くの絵画や文学、音楽等の創作の題材となっています。

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ABOUT US

学習法診断士。東京、千葉、埼玉を中心に独自の教育論、常識外れの教育手法を用いて大手進学塾や個別指導塾、家庭教師といった教育機関で多数のミラクルと言われるような合格を打ち出す。2013年に株式会社学習法指導塾PHIを設立し、子供たちへ勉強のやり方の指導を始め、親への接し方の指導、セミナー活動、高校や大学での指導、塾や学校の先生などの教育者に対する指導、動物介在教育など多岐にわたって教育業に携わる。

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