「好き!」から学ぶオンライン授業専門の塾

誕生日のメッセージ、電話、来訪、お誘い、ありがとうございました♪

この教育手法にありつくまでの経緯

先日は私の誕生日でした。

朝から色々な方からメール、電話、来訪、お誘いを頂いててんやわんや!

誕生日だからという訳でもない方も多かったのですが、なぜか重なる重なる(笑)

ほぼ一日中誰かと話しながら過ごし、楽しい日を過ごさせてもらいました。

なんだかんだでどれだけ忙しくても、人とつながってる事に幸せを感じた切替です。

皆さん、本当にありがとうございます。

こんな歳になってもお祝いの言葉を頂けるのは嬉しいものですね。

昔の教え子も来てくれたり連絡くれたりしてくれたので、懐かしい事もたくさん思い出しました。

きっかけは学生の時

思えば私が初めて先生という仕事についたのは大学生の頃。

決してお金に余裕がある家庭ではなかった、いやむしろお金には非常に困っている家庭だったので(笑)

少しでも割のいいバイトはないかなと探したのが塾講師のバイトでした。

きっかけはそんな感じでしたが、子どもと関わっていく内にだんだんはまっていってしまい、いつしか大学よりも出勤日数が多くなり、大学ではいかな過ぎて掲示版に呼び出しを貼り出される始末ww

私自身、勉強に苦労したというのも大きかったでしょう。

全くできなかったので、試行錯誤しながらかなり苦労しました。

就職活動の時なんて周りが就職活動に忙しくなっている事にすら気付かないぐらいバイトに明け暮れていて、久々に行った大学はみんな就職先が決まっていて、教授からも「切替、おまえはどこに就職するんだ?」と。

言い訳がましいですが、塾の先生って12月から3月までは入試もあってドタバタなんですよ。

それゆえほとんどなーんも考えていませんでした(笑)

ただがむしゃらに教えてきて、気付いたら「あれ?俺この先どうするんだろ?」みたいなww

だからその時に教授にはこう言いました。

「自分の教育論を通せる会社作ります。」と。

で、その時に思いついた会社名を就職先の会社名の欄に書いてきたのを覚えています。

教授は笑って「成功したら銀座に飲みにでも連れて行ってくれよ」と言っていました。

今考えると本当にしょーもない大学生でしたね(笑)

しかしそのしょーもない大学生活の時の友人が今も輪を広げていて、いつまでもくだらない子供のお遊びに付き合ってくれるのですから本当に感謝です。

社長だけが合格を主張し採用された

卒業後はバイトで大手の塾に勤め、その後正社員となりました。

本当は塾のプロ講師試験を受けたのですが、落ちたんです(笑)

でもなぜか正社員試験には合格しました。

後々話を聞いたのですが、役員面接が決め手だったようです。

私は当時バイトの身分で役員なんて顔も名前も知らないですから、役員面接と言われても、「役員って面談役の人員」ぐらいにしか思っていなかったんです。

就職もしていなかったので役職なんてのも知りませんでしたし(笑)

その後知ったのですが、あの時の役員の中に当時の社長がいたんですよね。

でもそんな事知らなかった私は当時感じていた組織の問題、教育問題などをドストレートにガンガン言ってしまいました。

「社長は何も現場の事が見えていない。それこそ一番問題だ。」

とか知らなかったとはいえ社長を目の前にしてのたまってました(笑)

面接が終わって教室に戻って教室長に話をして青ざめたのでよく覚えていますww

後々研修中に聞かされた話によると、どうやら役員全員が反対する中、社長だけが採用を押し通し、私は社員になったようです(^^;)

研修中は研修室の上司からよく切替の採用は七不思議の1つと揶揄されたものです(笑)

社員になってからも相変わらず社員としての仕事はそっちのけで授業ばかりしていました。

社員になっても自分で会社を作ると言う方針は変えていませんでしたので、色々と勉強させてもらいました。

特に社員になってからは今まで感覚で教えていたものを体系化するようになり、学問的な視点で教育と言うものを勉強するようにもなりました。

私は教員免許も持っているので、大学時代から勉強していたと言えばしていたのですが、教育学という分野にとらわれず、教育とは何か?そういう原点から考えていたのがこの時期です。

戦争はどうすればなくなるのか

父と一つの映画を見ました。

「出口のない海」という映画で、第二次世界大戦中の潜水艦特攻を題材にしたお話です。

私は昔から飛行機や車が好きで、戦艦や戦闘機にももちろん興味がありました。

教科書で知る戦争はただただ紙の上での出来事でしかなく、それらが殺戮兵器であるという考えはなく、単純に乗り物として好きでした。

それがこの映画を見た事で考えがガラっと変わりました。

正確にはこの映画を観終わった後に父がボロボロ涙を流しているのを見た瞬間に変わりました。

父の涙なんてそうそう見ていませんでしたし、ましてあんなにボロボロ涙を流しているのは初めてでしたから。

話には以前から聞いていましたが、私の父の父、つまり私の祖父は潜水艦特攻要員の1人だったそうです。

幸い祖父が特攻に行く前に戦争が終結したため、父がいて私がいるのですが、戦争が終わっていなければ、何もかにもが違っていたんでしょうね。

戦争を知らない私が戦争を実感した最初の出来事です。

それからは社会の、特に歴史の勉強はたくさんしましたね。

受験のためとかそういうのではなく、歴史、特に戦や戦争に興味を持ちました。

乗り物としての戦闘機や戦艦ではなく、兵器としての戦闘機や戦艦も勉強しました。

富士総合火力演習にも行きました。

戦車や戦闘機、戦闘ヘリなどが実弾を使って訓練する様子を見られるイベントです。

テレビやパソコン画面上で繰り広げられていた戦争シーンがまさに目の前で再現される訳です。

もちろん標的は風船などの的ですが、淡々と訓練が進んでいく様子は話しても伝えられません。

今これが人に向けて使われたらどれだけの悲しみを生む事になるのか…

そんな事ばかり考えていると涙が止まりませんでした。

私は戦争を知らない。

経験もしてない。

本の中でのみ繰り広げられている世界を垣間見たに過ぎません。

でも戦争をしてはいけない事だけはわかる。

今起きている戦争も、きっかけはその前の戦争だという事もわかった。

戦争を止められるのは戦争ではない。

次の世代を担う子の教育だろう。

許す事でしか戦争は終わらせられないのなら、許し方を教えるのも大切な教育だろうと。

教育者を育てる教育

私の掲げる教育理念は「教育者を育てる教育」です。

教育者というのは、何も先生だけを指すものではありません。

親になれば子供を教育するし、社会に出れば部下を教育する。

中学高校生だって部活をやれば後輩に教える。

人と関わって生きていく以上、必ず教育者になる日は来るはずです。

その時に良き教育者となれる教育こそ私が今してあげられる教育かなと思っています。

その子たちがまた次の世代の子供たちが良き教育者となれるように教育してくれれば、その時代にあった教育の形へと姿を変えながら続いていくかなと。

でも私は多くの生徒の成績を伸ばしてきていますが、伸びたか伸びないかなんてのは結果論でしかないと思っています。

そんなことより、勉強を通して学んだことの中に、教育者としての教え方が少しでも入っていてくれればと思っています。

だからやっぱり嬉しいですね。

教え子や生徒が先生になったり、他の友達や兄弟姉妹に教えてたり、親になったりという話を聞くとやっぱり嬉しいですね。

私は今の塾を立ち上げる前に大失態をやらかして無一文になっています。

その時に声をかけ、支えてくれた友人や生徒たちを忘れていません。

本当に何度も死にたいと思いましたが、立ち直れて今があるのは皆さんのおかげです。

感謝しています。

この教育論でどれだけ世界に挑戦できるかわかりませんが、クラゲが海の波を作っているという説があるぐらいですからね(笑)

やるだけやって、この理不尽な世界に挑戦したいと思います。

切替一薫

アドバイスするコールセンターの女性のイメージ

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