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何を犠牲にするか、ハッキリさせないから成績が伸びない。
親が叱るのは当然の事です。
しかし叱ったからと言って、思い通り完璧に育つ子はほとんどいません。
特に中学受験を目指している方はおわかりになるでしょう。
そんな子育てについて、今回は理想ではなく、現実的な話をします。
すなわち、何を捨てるか、です。
今回は辛口です。
10000人以上の子供達のノートや勉強法を見てきた切替が、オンライン授業や学習法診断で実際にあったケースを元にお話します。
どう育って欲しいか
一般的に親の子育ての要望は大きく以下の5つに分類されます。
- 学歴、肩書き、成績において優秀な子にすること。
- スポーツ、芸術系で優れた成績を収められる子にすること。
- 性格、人格が優れた子にすること。
- 社会人として、親として、立派に生き抜ける子にすること。
- その他、ニッチ、マイナーな特定の分野で優秀な子にすること。
学習法診断でお伺いしても、大抵この中のどれかに当てはまります。
すでにファイに入会した、オンライン授業の保護者も同様です。
つまり、誰でもそうだということです。
まずは一つ一つの要望と、その現実について簡単に見てみましょう。
① 学歴、肩書き、成績
塾に入る子の親の要望はほとんどが①の学歴、肩書き、成績を少しでも良くしたいという思いからでしょう。
しかし残念ながら今の都市周辺の教育環境は、学歴が優秀だった方が教育にお金をかけ、子どもも優秀な成績を収めるケースが多く、親の学歴に左右されずに子どもの成績を伸ばすためには、どれだけお金をかけるかが要になっているのが現実です。
これについては文部科学省の統計でも明らかになっています。
もちろん必ずしもトップレベルを目指しているわけではないとは思いますが、それでもやはりある程度は教育にお金をかけなければ平均以上になるのも難しいのです。
② スポーツ、芸術系
スポーツ、芸術系に優れた成績を収めている子は、親自身がその世界で活躍するスポーツ選手だったり、芸術家だったりすることが多い傾向にあります。
特に一流アスリートともなるとその傾向か強く、親が何かしらの関係者だったケースがほとんど。
全く土壌が違うところから子どもが一流アスリートや芸術家になることもありますが、現実的にはほんの一握り。
時々学歴もあってスポーツも万能、性格もよく、教養も素晴らしい才色兼備な方が身近にいるとおっしゃる方がいらっしゃいますが、そういう方だから話題になるだけで、そうでない普通の人は、それが大多数なので話題に上がらないだけなのです。
最近ではモンテッソーリ教育が話題ですが、その教育をやっていれば一流になれるわけでもありません。
そしてモンテッソーリ教育ですら、性格的な犠牲を払うことが多いのが現実なのです。
③・④ 性格、人格、社会人
③の性格や人格が素晴らしい人間になるように、④の社会人として成功するように、に関してはまさに親の育て方がそのまま反映される部分です。
そのため特別な場合を除いて環境を用意する必要はなく、自然体で学ばせることができます。
もちろん経験がものをいう世界なので、様々な経験をさせてあげる必要はあるでしょう。
ここで大切なのは、性格や人格、社会人として素晴らしい人は、必ずしも学歴がいいとは限らないということです。
むしろ様々な失敗経験をしている人の方が魅力的なことも多いものです。
そう考えると、受験での失敗はこの部分における糧になる可能性すらあるのです。
⑤ ニッチ、マイナー
⑤のニッチでマイナーな分野での成功については、あまり一般的には手を出さない分野での勝負になりますので、小さい頃からそれにガッツリと入れ込んでいる子に多いようです。
もちろん大きくなってそのままその方向に進めるかは別問題ですが、マイナーなジャンルなら、やり込むことで勝てる可能性が高くなります。
そしてこれにおいても幼少期から打ち込んでいることが多いため、勉強が犠牲になっていることが多いのが現実です。
大切なのはバランス
この中で重要なのは?
と言われてもなかなか選べないと思いますが、それはあなただけではありません。
みんな選べないのです。
学歴が良くても使えない社会人は沢山いますし、スポーツはいつできなくなるかわかりません。
性格が良ければと思っても、賢さがなければ騙されやすい子になってしまいますし、生きていくといっても賢くなければ生きていくのも大変。
つまり、大切なのはどれかを選ぶことではなく、バランスを取ることなのです。
とは言っても時間は有限。
全てをパーフェクトに満たす子を育てようとしてもなかなか現実的には難しいものです。
何かに秀でていれば、何かで欠点を抱える。
それが現実です。
そのため、100の素質を①~⑤のどこに振り分けて育てるか、が重要になるのです。
自我が目覚めると共に、自分の進む道を探し始める
その際、考慮しておくべき重要なことがあります。
それが自我の目覚めです。
親がいくら色々なことを先回りして考えていても、自我の目覚めと共にあらぬ方向へ向かい始めます。
もちろん子どもも同じ方向を向いて歩いてくれていれば問題ないのですが、大抵の場合、目先のものに惑わされて道を外れていきます。
ゲーム中毒、携帯・ネット中毒、テレビ中毒はまさにその典型ですね。
その先に進む道はいばらの道なのですが、そのいばらの道を抜けた人を引き合いにして、自分もユーチューバーになるだとか、プロゲーマーになるだとか言い始めます。
こうなると親が望む素質ではない方向へ進み始めるのです。
これを許容できずがんじがらめにしようとすると、どんどんバランスを欠いていってしまいます。
だからいくら机に縛り付けても伸びなくなってしまうのです。
時間は有限だと理解する
もちろん人なので、完全に数値化して話をすることはできませんが、100の素質を振り分ける場において、振り分けられない方が多いのは事実です。
オンライン授業は親も受けることが多いので、こういう話題を子どもも交えてすることがありますが、大抵の親は振り分けられません。
そして学習法診断で聞くこともあるのですが、やはりほとんどの方が答えられません。
でも現実的には何かが犠牲になるので、それを覚悟し、許容する必要があるのです。
例えば今受験生の方は、やはり①学歴、肩書き、成績を上げたいと考え、そのために塾に入れているでことしょう。
しかし、そちらに配分を回すという事は、その他の運動や芸術に関する能力や才能、性格といった他のものを犠牲にする可能性が高いことをわかっていないのです。
部活や習い事優先で生活している場合は、勉強や性格を犠牲にするはずなのに、あれもこれもと要求していることが多いのです。
何をどこまで犠牲にして素質を伸ばしたいのか、それは親としても欲張らずに覚悟をして育てるべきでしょう。
つまり、「勉強しなさい!」と言うという事は、「スポーツや習い事、性格、社会性は犠牲にしなさい!」と言っているのと同義だという自覚は持っておくべきなです。
「成績を上げろ」というのなら、それ相応の資金力が必要なのです。
その覚悟が中途半端だから、結局はどれも思うようにいかないのです。
それでも子どもにあれもこれも望んでしまい、あれもこれもと要求する方。
あなたはそんなに立派な方なのですか?
それを要求するに見合う教育を受けさせるだけの資金と時間をお持ちですか?
もし持っているということでしたら、才色兼備を現実のものにする環境は十分整っていると言っていいでしょう。
その場合、この先を読む必要ありません。
素質の総数を増やす
それでも現実的には才色兼備な子がいるのも事実です。
しかし逆に言えば、表に見える部分の素質を磨くことに長けており、見えない裏の部分にしわ寄せが行っている可能性も否めません。
実際パーフェクトな人間なんていませんから、現実的にはどこかにしわ寄せが行っているはずです。
つまり、こういう場合、そもそも素質の総数が100以上あることが考えられるのです。
そう、100を振り分けるのではなく、そもそもの素質を100以上にしてしまうという方法があるのです。
素質を増やすための条件は以下の3つ。
- ①~⑤のバランスが整っていること。
- 足りない素質を見つけ、増やしてあげられること。
- 自主的に考え、動くことができること。
この条件に当てはまれば、素質の総数は次第に増えていきます。
普通の人が元から持っている素質を100とすると、それを200にも300にもすることができます。
時々いる才色兼備な子というのは、この条件がそろっている子なんですね。
だから、表に出やすい100をカバーして、見えないの部分で捨てる選択肢ができるのです。
逆に言えば、そもそもの素質の総数が少ない子は、強させなきゃと焦って学力を伸ばそうと思っても、運動や芸術、性格、社会性といった他のバランスが整わないと、限られた素質を奪い合うことになります。
すると結局自我が目覚めて反抗期が進むに伴い足の引っ張り合いが起きて、伸び悩みを起こすのです。
そのため、時間がかかっても勉強以外のバランスを整えるようにすると、素質の合計そのものを増やせるので、結果的に勉強に力を入れようと思った時に配分しやすくなります。
実際面白いことに、こういう場において、迷わず「勉強や成績を捨てる」と答えられる親の方が、子どもが良く伸びる傾向にあるのです。
結局勉強は放っておいてもやることになるから、それ以外を伸ばそうとする方がバランスがとりやすいんですね。
だから勉強よりも、人として大切な部分を教えている親の方が、結果的に伸びるのです。
勉強を頑張らせようと思わない方が伸びるとは、なんとも皮肉な話ですが、勉強とはそういうものなのです。
なお、自我の目覚めや反抗期がない子では、素直に言うことを聞きすぎて素質に偏りが生じ過ぎてしまう可能性があります。
こうなると、それ以外の素質を伸ばすことができなくなり、その素質のみでしか生きられなくなってしまいます。
もちろんそれが悪いことというわけではありません。
しかし、その特化した素質が通用しなくなったときにどうなるかは想像に難くないでしょう。
犠牲をしっかりと織り込むべき
もし勉強をさせたい、成績を伸ばしたいと思っているのにうまくいかない場合は、もう一度目標をしっかりと定め、そのために何を犠牲にするかをハッキリさせるべきです。
すなわち、直球で勉強することを要求するのであれば、勉強以外を犠牲にする覚悟を持つべきということです。
どんなに綺麗ごとを言っても、あなたが成績を求める限り、勉強以外の部分は何かしら犠牲になります。
成績が良ければ立派な社会人になるなんていうのは迷信です。
何の関係もありません。
そして子どもは基本的に勉強以外を選びますから、いかに丸め込んで、もしくは強制的に勉強以外の要素を排除するかにかかってきます。
親の覚悟が足りなければ、結局伸ばすには至りません。
もし①だけを選びきれないのであれば、子ども自身に勉強を選ばせ、親が勉強以外のバランスを整えてあげるのが現実的です。
中途半端に勉強することを望んでも、子どもはそれを避けようとして勉強以外の部分が足を引っ張ります。
やってみてダメなら、もう素質の総量自体が少ないのは目に見えていますから、キャパを広げる方が、子ども自身で①を伸ばす方向に向かう可能性が高まるのです。
物事には必ず二面性があります。
メリットがあればデメリットもある。
子育てもそれは同じです。
見えている部分だけを引き上げようとしても、見えていない部分が足を引っ張ります。
バランスを欠くと、調整が入ります。
目の前に見えている事を指摘するだけなら、親でなくてもできます。
親にしか見えない、見えていない部分を育てることでバランスを調整すれば、子どもは自ら勉強でバランスを取ろうとします。
見えていない部分を育てることで、見えている部分も育つのです。
ここ数日で子どもと話したことが、目に見えることだけだったか、目に見えない部分だったか、考えてみて下さい。
勉強以外を育てる声かけをしてきましたか?
もしやっぱり勉強以外の方が大切だと思えたなら、ファイへご連絡下さい。
それがわかれば、合格を度外視するファイの教育法も受け入れられるはずです。
ファイでは受験の合否ではなく、進学後を重視して教えています。
だから合格実績ではなく、進学後にどうなったのかを載せています。
何を捨てるべきかハッキリしない方は、ぜひご覧下さい。