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樺太(サハリン)の所属
樺太(カラフト,サハリン)ってどこ?
確かに日本は放棄しました。
でもそこは、厳密にいうと放棄しただけ、ということですね。
先生がきっかけを作ったとはいえ、先生が言ったことをおかしいと思えるのは大したものです(^^)
これも毎年誰かが質問してくるので、実際のやり取りを基に授業の様子を紹介しましょう。
樺太は歴史でも何度か登場してくる重要な島の1つ。
北海道の稚内(わっかない)の北にある島ですね。
しかしその帰属はテキストに出てくるたびに変わり、よくわからなくなっている子もしばしば。
そして現在はロシア領だと思っている方も多いはず。
しかし、実は樺太はロシア領ではないのです。
正確には、樺太の南半分、南樺太については「帰属未定地」となっているのです。
少なくとも日本の立場としては。
そのためちゃんと外務省のホームページにも載っています。
樺太の帰属の歴史と流れ
1644年:ロシア人が樺太は島であることを確認
これまで樺太は島であることは島民たちにはわかっており、ロシア人がアムール川下流から海峡を眺め、島であることを確認していました。
1689年:ネルチンスク条約
清(中国)とロシアとの間で結ばれた条約で、アルグン川(アムール川の源流)を国境とすることになりました。
樺太はアムール川の河口よりも南側に一番狭い海峡が来ているため、ロシアは樺太に手を出していませんでした。
1808年:日本が樺太は島であることを確認
清(中国)やヨーロッパは、樺太は島ではなく半島ではないかと考えており、ヨーロッパからの情報を得ていた日本も半島かも知れないと考えていました。
そこで、間宮林蔵(まみやりんぞう)らを派遣し、調査させたところ、島であることを突き止めました。
この記録をシーボルトがヨーロッパへ伝え、間宮海峡の名で樺太が島であることが伝わっています。
なお、島か半島かがこれまでハッキリしなかったのは、当時は測量技術及び移動手段、伝達手段があまり発展していなかったこと。
そしてこの海峡が冬の間は凍結して陸続きになり、徒歩でも横断できる状態になっているためです。
1855年:日露和親条約
日本とロシアが締結した条約で、下田、函館、長崎を開港し、国境は択捉島(えとろふとう)と得撫島(うるっぷとう)の間とし、樺太は両国の雑居地と定めています。
現在の北方領土問題でもたびたび出てくる条約ですが、この条約で択捉島までは日本の領土として認めていたことになります。
1855年の日露和親条約で樺太をどうするか話し合ったのですが、折り合いがつかず、とりあえず雑居地にしておこうと棚上げした感じでした。
そのため、両国はこの後も度々帰属をめぐって衝突をし、1867年にいい加減決着をつけようと話し合われたのですが、結局「日露間樺太島仮規則」では雑居地にすることで一応の決着ということにしました。
1875年:樺太千島交換条約
日本が樺太を放棄する代わりに、千島列島全島を日本領とする条約が結ばれました。
この時に交渉を担当したのが榎本武揚。
交換しなければならなくなったのは、ロシアが樺太を流刑地としたため、犯罪が多発してしまったから。
さすがにこれはまずいという事で、日本は樺太を放棄し、代わりに千島列島全島を手にすることで合意しました。
最もこの合意自体は穏便に行われたのですが、日本国民とロシア国民の怒りは爆発したと言われています。
日本国民「元々日本だったところを交換で取り合えしただけだ。」
ロシア国民「なぜ千島列島をただであげなければならないんだ。」
1905年:ポーツマス条約
日露戦争の結果結ばれたポーツマス条約で、日本は南樺太(北緯50度以南)を日本領としました。
この時に交渉を担当したのが小村寿太郎とウィッテ。
なおこのポーツマス条約で、日本は韓国の保護権、リャオトン半島南部の租借権の譲渡、南満州鉄道の利権、漁業権の譲渡を認めさせています。
賠償金を取れなかったのは有名ですね。
1951年:サンフランシスコ平和条約
第二次世界大戦後、ポツダム宣言を受け入れた日本は千島列島及び南樺太の権利を放棄しました。
なお、北方領土問題の発端となるのは、千島列島とはどこのことをさすのか、です。
日本は千島列島とは北方四島より北側の島々を指すと考えていましたが、ロシアは北方四島も含めて「クリル諸島」と呼んでおり、北方四島まで含めて千島列島だと解釈しています。
この解釈の違いから北方領土問題が生まれているのです。
樺太と北方領土
なぜ日本が放棄したのにロシア領にはならない?
「放棄したならやっぱりロシア領でいいんじゃないですか?」
一見すると日本は放棄したのだからロシア領になったかのように見えますが、思い出してみましょう。
サンフランシスコ平和条約にロシア(当時ソ連)は参加していないのです。
つまり、日本は放棄したものの、だからといってロシアに権益が発生する根拠がないのです。
したがって、現在に至るまで、南樺太と千島列島がロシアに属すると認めた条約はない、だからロシア領ではないということになるのです。
なぜ北方領土は放棄したことにならない?
確かに日本は千島列島の権利を放棄しています。
しかし、日本は千島列島には北方領土が含まれていない、という解釈をしているのです。
この根拠となるのが1855年の日露和親条約です。
この条約で、択捉島までは日本領であるとロシアが認めています。
そのため、択捉島までは日本固有の領土であり、それより北側が千島列島に属する島と考えられるのです。
もっともロシア側は古すぎて無効という言い分を持ち出しており、現在も解決に至っていません。
また、実はロシアでは北方領土に関してほとんど学校で教えられていません。
そして教えているところでも、あくまで「クリル諸島」の一部であり、その4島だけ持ち出して返還を求めていると教えているのです。
こういうのは一問一答で勉強しているだけでは全く理解できないままとなる部分ですね。
難関レベルの学校を目指しているのなら、何を言っているのかわからなければちょっとマズい…
北方領土については入試でもよく問われるので、ぜひ関連事項として以下の記事もご覧下さい(^^)/
「先生、サピックスの先生が『樺太は本当はロシア領じゃないんだけどね。』って言ってたんですけど、どういうことですか?今まとめなおしてて思ったのですが、ポーツマス条約で南樺太を日本領にして、太平洋戦争で放棄しているので、やっぱりロシア領になったんじゃないんですか?」
元サピックス 小6 女の子