受験は結果か過程か
よく『結果が全て』という言葉を聞きますが、それは小区分での話。
例えば単語テストや漢字テストなど、出題範囲が決まっていて、やりさえすれば絶対満点が取れるような試験。
これは結果が全て言えるでしょう。
しかし受験はどうでしょう?
私は過程であることが大切だと思います。
なぜか。
勉強は受験が終わったから終わり、ではないからです。
例えば私の教え子で、高校生の頃から大学受験に向けたブログを書いていた子がいるのですが、この子は私が教えて来て受験に失敗してしまった子の1人です。
模試や過去問の出来から見れば受かれる可能性は結構高かったんですけれど、残念ながら不合格でした。
ではこれで彼の人生が失敗したのかというとそうではありません。
彼が高校生になって目指したのは東大。
教えていた時に目標としていた職業や大学よりも高い目標を掲げました。
そこそこできたことが仇になった中学時代
中学生の彼を教えていた時。
正直大して勉強していませんでした。
要領は良かったのですが、それゆえ高を括った感じがあり、ちょっとだけやって、そこそこの点が取れて、満足してやらない。
素頭が良かったので、ろくに考えなくても暗記出来てしまったんですね。
もちろん「そんな勉強の仕方をしていたら足元をすくわれる」と指摘はしておきましたが、実感が伴わないため、聞き入れてくれません。
私は1年も前から万が一を考えて、受験でこけた時のための仕込みをコツコツとしておきました。
もちろんこけないに越したことはないのですが、残念ながら出だしから普通にやっていれば落ちるはずがない学校に落ちました。
その後もペースは崩れ、安全校は押さえたものの、チャレンジ校、次善校は全滅。
受験に落ちた報告をしに来て、みんながいる前ではおちゃらけていましたが、私と二人になった瞬間、彼は大泣きしていました。
受験本番で、丸暗記の壁に当たってしまったのです。

負けたから頑張れる
結局彼は行きたかった学校にことごとく滑ってしまったわけですが、その悔しさをバネに頑張り出したのです。
「どうせやるなら東大を目指してやる!」ってね。
大切なのは、この目指してみようとする気持ちなのです。
実際合格できるかどうか、それはわかりません。
もちろん合格するに越したことはありませんが、合格が必ずしも成功とは限らないのです。
少なくともろくに考えもせず、丸暗記だけで乗り切っていた彼に関しては、受験で落ちたことをきっかけに、努力する勉強(考える勉強)ができるようになった訳ですから、長い目で見て、ここで一生懸命やっている事は人生の役に立ったと言えるのではないでしょうか。
その後どうなったの?
一般的な塾の体験談やストーリーは合格しておしまいですが、私はそんなこと目指していません。
この子についても、もう就職も決まったので、この後のエピソードまでお話しましょう。
彼はその後も連絡をくれ、成績表を持って話しに来てくれました。
勉強の仕方から恋愛まで相談に乗っていました。
考える勉強をするようになった彼は、学校の中で選抜クラスにも選ばれ、学内トップレベルになりました。
一般の塾では受験は受からせて終わり!と考える先生は多いのですが、私は受験は終わってからが勝負だと思って教えていますから、教師冥利につきるというものです。
彼は高校で優秀な成績を収め、模試でも実際に東大が視野に入るぐらいまで伸びました。
中学生の時は、東大の「と」の字も出てくるような感じではなかったのですが(笑)
私はどこを受けるか相談されました。
「東大を目指してはいましたが、行きたいのは慶應。どうしよう。」と。
私はブランドやネームバリューよりも、やりたいことを学べるところに行くべきだと考えています。
おそらく彼もわかってて私に聞いてきたのでしょう。
彼は慶應を選択しました。
「勿体ない!」という方がいらっしゃいますが、そんなことはありません。
彼は偏差値が足りないから東大をやめたのではなく、積極的選択により、慶應を選んだのですから。
彼の通っていた高校からは、今でこそ東大が出ていますが、以前はそこまでではなかったため、土俵に立てるまで行っただけでも、よく頑張ったと思います。
少なくとも学校内ではトップレベルに入っていなければなりませんでしたからね。
彼はその後慶應に合格し、大学でも猛勉強。
さらに三大国家資格である、医者や弁護士と並ぶ公認会計士試験に見事合格!
しかも合格者順位がめちゃくちゃいい(笑)
大手の会計事務所に勤めることが決まりました。
合格した時の通知書を見せてくれました。
点数から順位まで、数字が細かく出ているため、ぼかしてお見せする形になりますが、本当は見せて自慢したいくらいいい成績(笑)

結果にするか、過程にするかは親次第
受験に落ちたらと思うと不安で眠れない方。
すでに受験に落ちて嘆いている方。
試験後の出来具合を見て落ちるとわかってしまった方。
落ちて終わるのは受験です。
人生ではありません。
その後の人生に活かすも殺すも、親であるあなた次第なのです。
悔しいと思えば勝手に勉強します。
この子のようにね。
自分なりに頑張った、その結果をしっかり受け止め、今後に活かせれば、その受験は後の成功になるのです。
大切なのは、次の勝利のために負けを認め、反省すること。
今の受験は1度しかありませんが、人生において受験は何度かあります。
今の受験はそのスタートであってゴールではないのです。
彼はファイでアシスタントとして手伝ってくれ、その時に丸暗記して私に叱られた子ども達にこんなことを話していました。
「切替さんは雑談ばかりしてるように見えるけど、なんであんなに関係ないことばかり話してると思う?当時は何とも思ってなかったけれど、ふとしたときに、『あぁ、先生が話してたことだ』ってことが多々あるんだよね。結局さ、何をしても勉強に通じるってことなんだよ。大切なのは今やっていること、やりたいと思っていることに全力を注いで考えること。やりたいことに全力を注げば、その時に考えた思考プロセスが、が巡り巡ってテストにも活かされる。結局テストなんてそうやって得られる思考プロセスの一部を点数化するために作ってるものだから、テストのための勉強(丸暗記)なんてしなくても、点数取れるんだよ。だからもっと考えることを楽しまなきゃ!」
合格度外視の指導で伸びるのか?
合格度外視は受験戦争世代の親からしてみたら恐怖でしかないでしょう。
その気持ちはよくわかります。
しかし、時代は変わりました。
名の知れた大学に入れておけばいいという時代は終わったのです。
これからの時代に大切なのは、自分がやりたいことにしっかり打ち込めるかどうか。
受験も詰め込み教育を排除していく方向に動いています。
テスト問題にしたときの評価のものさしがないため、理想と現実のはざまで混沌としてますけどね。
だから伸びますよ。
合格度外視は理想論ではなく、現実論なのです。
現実的に考えて、その方が伸びる可能性が高いのです。
成績を上げることも合格させることも第一目的にしていないのであえてアピールもしていませんが、そんなもの目指さない方が、子ども達は伸びていくのです。
同じ受験でも、自分で決めてやった受験か、親や先生が決めてやった受験か、その違いは受験後に大きな差になります。
間に合う子はポーンと伸びて、志望校よりも高い所へ合格していきます。
受験に一生懸命になるのも大切ですが、受験後のことを真剣に考えておくことも大切。
今は受験業界があおりすぎている感じがしますね。
ファイの子も何も手を打たずに伸びているわけではありません。
戦略的にあの手この手で布石を打っているのです。
今の受験がうまくいきそうなら構いませんが、危ういのであれば、ファイのような受験の仕方を考えてみてはいかがでしょうか?
受験の合格を目指さないというのは、第一目標にしないだけで、対策をしないわけではありません。
学習法診断を通して、今何が起きているのか、本当は何をするべきなのか、お話致しますよ(^^)/
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