日本初!勝手に勉強する子ができる塾

西船橋周辺に見る第二次世界大戦の遺構

第二次世界大戦で使われたプロペラ機、零戦

学びのきっかけは身近にある

8月15日は終戦の日。

昭和天皇が玉音放送でポツダム宣言の受諾と降伏の決定が伝えた日です。

ということで、西船橋周辺にある第二次世界大戦の遺構や遺物を紹介しましょう。

西船橋に住んでいても、あまり気にかけていないと思いますが、結構学びのきっかけは転がっているものです。

西船橋のミステリーサークル、行田

行田をgoogleマップで見たことがある人なら、この奇妙な道路が目につくことでしょう。

これは1915年に作られた海軍無線電信所船橋送信所という施設の跡地のため、このような地形になっているのです。

この無線送信所は真ん中に200mの高さの鉄塔が立ち、その周囲に60mの高さの鉄塔を18基建てたもので、直径800mもの大きさ。

その後周囲の鉄塔も高さ200mになり、6基に。

ハワイとの通信にも使われ、真珠湾攻撃の開始の合図である「ニイタカヤマノボレ一ニ〇八」もここから発信されています。

1915年というと、受験でもおなじみの二十一か条の要求を中国に突き付けた年。

二十一か条の要求というのは、第一次世界大戦時に日本が中国での利権拡大を要求したもの

つまり第一次世界大戦の時に作られた施設だったのです。

なお、この時発注した先がドイツのシーメンス社。

第一次世界大戦で日本はドイツに宣戦布告しているため、ドイツは工事を中断。

そのため日本は見様見真似で完成させました。

1971年に解体され行田には鉄塔が立っており、その名残は地域の学校の校歌にも歌われています。

丘にむれ立つ 無線塔

船橋市立塚田小 校歌

すぐそこあれは無線塔

船橋市立中野木小学校 旧校歌 ※現在歌詞が変更されています。

今も足元に転がっている遺構

行田の円周を歩いていると、このようなものを見つけることができます。

行田の海軍の軍用地境界標石
行田の海軍の軍用地境界標石

日本で海軍があったのは1945年までなので、当然現在のものではありません。

これらは海軍の軍用地境界標石といって、海軍の所有する土地との境界に埋められていたものです。

この石は行田東小の正門を入った先の円形花壇にも3本あるそうです。

小学生は興味なさそうなものですが、知っているとちょっと感慨深いかも(笑)

今回は西船橋の行田を中心に紹介しましたが、探して見ると結構歴史を感じるものが身近にあるものです。

西船橋にお住まいの方で、子どもに見せたいものをお探しの方は以下のマップをご覧下さい。

 ⇒ 受験に役立つ西船橋散策マップ

中学受験、高校受験に役立ちそうなスポットを乗せています。

もちろん今回紹介した石の場所も。

西船橋ではない方も、ぜひ街並みを子供と一緒に注意しながら散歩してみて下さい。

学びは机上だけで行うものではありません。

学ぼうと思えば、どこからでも学べるのです。

ファイの塾生たちはこのような感じで、いつも身近な気になることをネタとして持ち込んできます。

このブログのファイの授業内容紹介というタグはそんな子ども達のネタを基に授業したものを紹介しています。

身近なものからどう学べばいいかわからない方はラインの公式アカウントへご連絡下さい(^^)/

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学習法診断士。東京、千葉、埼玉を中心に独自の教育論、常識外れの教育手法を用いて大手進学塾や個別指導塾、家庭教師といった教育機関で多数のミラクルと言われるような合格を打ち出す。2013年に株式会社学習法指導塾PHIを設立し、子供たちへ勉強のやり方の指導を始め、親への接し方の指導、セミナー活動、高校や大学での指導、塾や学校の先生などの教育者に対する指導、動物介在教育など多岐にわたって教育業に携わる。

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